2017年11月29日

天照御大神(アマテラス オオミカミ)と日本国の位置

寒くなって参りました。風邪などひいておられませんか?
今年は例年より寒くなるのが遅かったのか?気温の変化が大きいのか?山々の紅葉がいつもより綺麗な気がします。

さて、古事記・日本書紀の「嘘」を暴き、本当の神観を日本人が備える事が、現在中国に侵略されつつある今後の日本国民が生き延びていく最重要課題だと思います。なぜなら、本当の「神観」を持てば、こんな力強い味方(真の神)がほかにいますか?
今までの日本人は、慣習的に何の疑問も持たず、近所の神社にお参りして真実の神と相対さないで、横向き〜後ろ向きに、祀られた神と向き合ってきました。しかも、自分の都合の良い時だけの神だのみ・・・。
真実の神は唯一神で、私たちとは「親子の関係」であると現代神学が位置付けています。

では本論に。古事記・日本書紀では、天照御大神はスサノウの姉という位置づけで登場します。
スサノウが暴れん坊で、アマテラスは岩戸にお隠れになる…という所から太陽神とも言われています。
全国の中で主だった神社(特にかつて国が管理していた旧官幣大社)を中心に調査した原田氏の「古代日本正史」には、はっきりとアマテラスの正体が書かれています。

天照大神は別名、大日霊女貴尊(オオヒミコ ムチノミコト)と称されます。伊勢皇大神宮に祀られています。全国の古い神社は皆この後の名で祀られています。
大は「大日本、大倭」などと同じく付け足したもの。貴尊は尊称。本名は日霊女(ヒミコ)だそうです。中国の魏志倭人伝には「卑弥呼」として登場します。(中国人は民族性なのか、何でも自分たちが1番で他民族を見下して表現するようで、「卑」という字もそこから来たようです。)

生まれたのは西暦153〜4年頃、スサノウより32年ぐらい後です。場所は現宮崎市の東端、阿波岐原(あわぎばる)町の近くで、当時の豪族だったイザナギ、イザナミの子として誕生します。大日霊女は20歳ごろから統率力もあり人々の人気を集めていたようです。
ところが西暦173年頃、突如として出雲からスサノウと第5子の大歳親子が九州に攻め入ります。九州各地の氏神様を調べると、その大半がスサノウを祀る「八坂神社」や「大歳神社」であることをみると、この親子侵略者でありながら、かなり人気があったようです。そして、九州を「各地の部族である点から一つの面」にまとめ上げました。

その親子が宮崎に入ってきたのが177〜8年頃、大日霊女が23〜4歳のころ。スサノウ親子は北満州系の騎馬民族でかなり強かったようです。(のちに大歳は「天照国照大神」となって、奈良県の三輪山に大物主神として大神(おおみわ)神社に祀られます。)
このスサノウに一目ぼれして、九州の現地妻になったのが大日霊女です。
つまり、スサノウには出雲にクシナダ姫という正妻がいながら、九州の日向にアマテラスという現地妻をめとったという事。アマテラスは、宗教的に言えば「妾」なのです。
やがて彼女はスサノウとの間に三人の女の子を授かります。

(日本書紀の編纂者たちは、姉弟の間に3女が生まれたとはさすがに抵抗があったのでしょう。古事記はスサノウまでは避けて、次の愛人と思われるアメノミナカヌシより記すと断っているが、日本書紀は3女(タギリ姫、タギツ姫、サヨリ姫)を登場させるために本当の事を書いたが、ウソというのはどこかで辻褄が合わなくなるというのが原田氏の見解です。)

数十年前、外国の神学者(東洋人)の方が講演で、「日本は女性の国ですね」という話を聞きました。確かに文明開化からイギリスの国政を学んだ為か、車はイギリスと同じ左側通行です。イギリスも日本も島国。イギリスはエリザベス女王の国、日本の始まりは大日霊女(卑弥呼)なので、なんとなく納得させられます。
そのあとに言われたことは、日本は「妾(めかけ)の国です。」という表現。言われた当時はとても頭に来ましたが、今となってはこの歴史の真実を知れば、しぶしぶ納得します。

大日霊女とその子孫が、スサノウとオオクニヌシの死後、出雲を逆に攻めて「国譲り」をさせます。そして、日本全土を手中に治めます。だから、日本は「妾の国」になったのですね。

スサノウの後を継いだのが出雲大社に祀られている「大国主命(オオクニヌシノミコト)」。この人物も不思議な人です。この続きは次回に・・。

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国宝「神魂(かもす)神社」ーアマテラスの父母、イザナギ・イザナミが祀られる

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神魂神社 入口

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八重垣神社にあるアマテラスとその子の壁画





posted by 城北通り動物病院松江 at 17:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

日本建国の祖「スサノウノミコト」という人物像  〜出雲神学からの考察〜

皆様、こんにちは。台風の通過ごとに朝夕冷え込む季節になりました。
昨今、高齢な仔で急な温度変化のストレスからなのか、亡くなっていくケースが増えてきています。1年経つごとに、犬で4歳、猫で5歳の年を取ります。元気だと思っても意外と隠れた病気を抱えていることもあります。物言えぬ動物たちには、飼い主様の気配りしかありません。

さて、今回は例によって原田氏の「古代日本正史」に出てくるスサノウノミコト(素佐之男尊)の素顔に迫ります。(出典:日本古代正史―原田常治著)
スサノウは西暦122年頃、現在の島根県出雲市平田町で生まれたようです。
(出雲市平田町の宇美神社には、スサノウの父フツが祀られています。全国の宇美神社は子を生むから来ているようです。)
古文書を探しても、スサノウは多くの戦をしたが、ただの一度も負けたことが無かった様です。勇猛で頭も優れ仁慈の名君と慕われていたようで、後に九州に遠征しますが八坂神社・祇園社・牛頭宮・熊野神社などの名前で九州各地に祀られているのを見ると、各地で尊敬され慕われていた人物像がわかります。
それまでの日本の国は、所々に原住民が住む「点」の集合だったものを、まとめて「面」にした最初の人物だったようです。
出雲、隠岐を186カ村に分けてそれぞれに村長を置き、自分は現在の雲南市大東町にある須賀という所を拠点に出雲中の物産交換市を行い、夜通し賑わったようです。(現在の大東市―須我神社:日本最初の和歌発祥の地)
後ろには八雲山(三室山または須我山ともいう)があり、戦略的にも良い場所で、八雲山※の頂上からは、晴れた日には眼下に中海、宍道湖、島根半島〜弓ヶ浜、出雲富士の大山を望める絶景地です。
スサノウとクシナダ夫婦には、5男3女の合計8人の子供がいました。子供たちはみな優秀だったようです。スサノウの子孫が栄えたという事で、島根県鹿足群津和野町には「弥栄(いやさか)神社」という名で親子全員が祀られています。8人の子達が皆栄えたという意味から、弥栄の名前が付き、そこから「八坂神社」が全国に出来ています。

(※参考:スサノウの第5子である饒速日尊(ニギハヤのミコト=フルノミタマ=大歳尊)が、将来大和地方に乗り込んで日本最初の国王になります。その時、現在の大神(おおみわ)神社のある三輪の地に住居を構え、後ろの山を三室山と名付けたのもスサノウを慕ってのことでしょう。そこで父と同じように、大和中の物産交換市を行っていました。)

スサノウが50歳を超えたころ、懸案の九州遠征に出発します。西暦173年頃、大歳(饒速日尊)が20歳を過ぎて海路で九州に攻めていきます。中国の梁書には「零帝の光和(西暦178〜183年)の時、倭国乱る」とあります。
出雲地方は雨天や冷害が多く、スサノウとしてはより気候の良い食糧生産地を求めて九州遠征に出たようです。モンゴルをルーツとしている出雲族の騎馬民族軍団は九州を瞬く間に平定します。

騎馬軍の先頭に立って九州の日向地方(現在の鹿児島〜宮崎地方)に入ってきたスサノウの姿に憧れた当時20代の女性がいました。その人物が、将来スサノウの「九州での現地妻」になる大日霊女(のちに日本史に出てくる卑弥呼または天照大神=アマテラス)でした。

日本書紀にはアマテラスはスサノウの姉と記していますが、年齢の誤差も甚だしい絵空事で、本当はスサノウの第2夫人になった人物です。スサノウより30歳も年下の女性が何故?姉になったのか?これが日本書紀で嘘をでっち上げなければならなかった重要ポイントの一つです。

次回はこの天照大神(アマテラスオオミカミ)問題に迫ります。

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スサノウの住居の地  須我神社(島根県雲南市大東町)


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日本和歌発祥の地 境内にある「八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくるその八重垣を」の碑


posted by 城北通り動物病院松江 at 10:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

古事記ヤマタノオロチ(八岐大蛇)退治の真相  〜出雲神学からの考察〜

皆さまこんにちは。秋も深まり、収穫祭の時期を迎えました。全国各地で秋祭りや運動会のシーズン到来です。
涼しくなってきてこれからの心配は「猫ちゃんたちの風邪」です。朝夕の温度差が風邪ひきの原因になります。温かい場所を準備してあげて下さい。ワクチンも忘れずに・・。

さて、今回のテーマは古事記に記されている「ヤマタノオロチ伝説」です。知らない方の為に、その概要は以下の通りです。
「高天原のアマテラス(スサノウの姉?)から追放されたスサノウが、島根県肥の国の上流(現 奥出雲町)に来た時、川の上流から箸が流れてきます。上流を上って行くと老いた夫婦が泣いています。原因は、オロチ(8つの頭、身1つ、尾が8つ)という大蛇が来るため、8人の娘を毎年1人づつ人身御供に差し出している。今年も娘(=クシナダヒメ)の番で、可哀相で泣いているとの事。
スサノウは大蛇を退治するから自分の嫁に欲しいと言い、酒樽を8個準備しオロチが飲んで酔って寝た所を切り刻むとお腹から剣がでてきた(草薙の剣)・・・」というお話。

獣医学的には、大蛇とはいえ異物(剣)を飲み込んでいたら元気・食欲がなくなるのに…という解析も馬鹿らしいおとぎ話です。

前回から紹介している原田氏の「古代日本正史」を読むとスッキリ解釈出来ます。(全国の神社に残っている古文書などを徹底的に調査しての結論です。)
◆まずスサノウですが、西暦122年頃現在の出雲市平田町で生まれた様です。スサノウの父はフツ(満州系の名前)で、スサノウは「フツシ」が本名のようです。日本の開国の祖がスサノウとみるのが正しい様です。
スサノウが20歳の頃に「木次事件(キスキ事件)」が起きます。島根県仁多郡横田町にクシナダ姫という美女が住んでいたようです。現在の島根県雲南市木次町に「ヤマタノオロチ」という製鉄業を営む豪族が住んでいました。昔の出雲地方では、熊鰐(クマワニ)とか荒海といった人名が見つかっているのを考えると、こういう相手を威喝するような流行があり、ヤマタノオロチもその類の名前であるとの解釈が合理的です。

豪族で金持ちなら美女を集めるのは古今東西同じ。で、クシナダを見初めて木次に連れて行ったようです。20代の血気盛んな青年の正義感からか、この娘に一目ぼれしたからなのかわかりませんが、このヤマタノオロチの館に、スサノウが切り込んでいって(おそらく夜襲をかけたのでしょうが・・)クシナダ姫を奪い、追っ手を避けて現在の松江市佐草町にある「八重垣神社」の場所にかくまったようです。何故八重垣か?現在の神社の裏山には垣根を何重にも作った跡があるそうで、そこからこの名前が来ているそうです。
尚、豪族ヤマタノオロチを切った剣は当時一番長い刀で、現在も「十束の剣(トツカの剣)=布都の御魂の剣」として、国宝になっています。

スサノウはクシナダを奪って、父のいる平田には行かずに、おそらく父の知り合いである青幡佐久佐比古という人の居住地である現八重垣神社の場所に逃げた様です。

先日、八重垣神社に行ってみました。境内の説明版に次の様な文言があります。
「・・・この佐草の地に宮づくりしてご夫婦の宮居とされ、縁結びの道をひらき略奪結婚から正式結婚の範を示し・・・・・」この中で略奪結婚とあります。スサノウが映画卒業のようにヤマタから略奪したと言う意味か?またはヤマタが略奪したのを、スサノウが取り返して両親の許可を得て正式結婚した・・という意味か?いずれにせよ、ヤマタノオロチが本当に大蛇なら、こんな文言は出てこない筈ですね。

次回はスサノウの素顔にせまります。

八重垣神社.jpg八重垣神社

八重垣神社 裏山.jpg 八重垣神社 裏山 (八重の垣根があったとされる)


クシナダ姫.jpg  日本最古のクシナダ姫壁画

posted by 城北通り動物病院松江 at 11:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする