2018年05月28日

歴史にみる神の救いの計画  〜西洋神学史観〜

皆様、こんにちは。
初夏のすがすがしい季節になりましたが、日によっては猛暑。動物たちが熱中症で運ばれてくる季節になりました。エアコンの管理をよろしくお願いします。

さて、今までは古代日本正史を中心に日本の神学であるスサノウから始まった神道の内容を分析してみましたが、もう一度西洋神学に戻り、歴史を通して働いてこられたであろう神が、私達堕落した人類を救うためにどの様な働きをして来られたのか?を、ユダヤ〜キリスト教史を中心に分析してみます。(久々に、例の友人の弁を借ります。)
その過程で、東洋でのスサノウの位置づけが出てくることと思います。

1) 旧約聖書からの歴史分析 (西洋神学に詳しい友人の話)
神と人の関係は親子だと言いましたね。子が失敗して親元を離れてしまったら、親は自業自得だといって放っておきますか?絶対にそんな事はありません。
まして、何億年もかけてやっと誕生した人間始祖、アダムとエバです。その我が子の為に自然万物世界も宇宙も、全てを精魂込めて創造した神です。

「とって食べるな!」という戒めを、アダムとエバが成長過程で破ったため、エデンの園に居れなくなったからと言って、見捨てる親ではありません。
神は、人類始祖をもう一度エデンの園(理想郷)に戻れるように「復帰の計画」を立てます。
アダムとエバは、エデンの園から追い出されて、カイン(長男)とアベル(次男)という2人の息子を産みます。神の人類を基に戻す計画はこの2人の息子から早速始まりました。両親(アダム・エバ)にはサタン(悪魔)が入ってしまったから、純粋な2人の息子に対して「神に供え物を神に捧げる」ように命じます。
カインは農作物を、アベルは羊を捧げますが、ここで難しい条件が負荷されます。
(私達でも、何か大きなミスをしたらそれ相応の償いが必要ですね。アダムの家庭を基へ戻すといっても、簡単には許されません。)

神は、最初に天使長ルシファーと淫行の罪を犯したエバの堕落の立場を長男カインに見立て、エバがアダムを誘惑して堕落した2番目の立場を次男アベルに見立てます。
2番目の堕落は、本来なら神が願った成長期間をアダム・エバの2人が戒めを守り全うしたなら結婚するべき立場だったのに、時期を間違えた堕落だったから、まだエバの興味本位の最初の堕落行為よりはマシな立場と考え、次男を神の立場に、長男をサタンの立場に立てます。
堕落して、善悪渾然一体となった家庭を救うためには、一旦白黒をはっきりさせて、神の願う条件を全うすれば、全員を救うという計画でした。

そこで、2人の兄弟は供え物をしましたが、神は次男の供え物だけを受け取り、長男の供え物は拒否しました。この後から、人類の悲惨歴史の始まりとなる事件が発生しました。

本来なら、次男は長男を慰めて、「お兄さん、もう一度一緒にお供えしよう」と言えば丸く収まったのに、兄のカインは怒りで弟アベルの野原に連れ出し、殺してしまいます。
このため、アダムの家庭を救おうとした神の計画はオジャンになりました。
アダムの家庭から、人類初の2大罪である「淫行と殺人」が起こってしまいました。これが今後の子孫の遺伝子情報にインプットされ、私達にまで綿々と受け継がれてしまいます。

殺人まで至らなくても、神がちゃんと2人の兄弟に、供え物のいきさつや内容を詳しく説明しておけば良かったじゃないの?と考えます。
しかし、アダムとエバにも、神の創造性を相続するため、「成長期間の間、神は一切干渉しないという取り決め」があったのです。自体責任で物事に当らなければならない期間=人間の責任期間があったため、神は干渉できなかったのです。(なんとなれば、自己判断・自己責任能力を持たなければ、何でも親にお伺いたてなきゃ生きて行けないロボット的な子になってしまいますから。)

当然、2日の兄弟であるカイン・アベルにも彼らが自分で考え、工夫し、判断して行わねばならない事に対しては、神は干渉できなかったのです。
人類歴史の数千年期間、殺戮と強奪、騙し合い、淫行などのあくどい歴史に、神が何故?干渉できなかったのか?親なら何とかできないのか?
・・・・残念ながら、「人間の責任には非干渉」という創造の原則を神が定めた以上、それを自分で破れば‘絶対者なる神’でなくなり、サタンが神を讒訴してこの世を完全に、永遠に支配してしまうため、親なる神は手が出せなかったのですね。

この続きは次回に〜。


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お花のきれいな季節


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往診先でのワシ
posted by 城北通り動物病院松江 at 16:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

今までのまとめとスサノウの家系図  〜出雲神学〜


皆様、五月晴れの美しい季節になりました。
狂犬病予防注射や、フィラリア予防、ノミダニ予防と大変忙しい季節になりました。
動物たちも1年の内一番過ごし易い季節になりましたので、大はしゃぎ。
しかし、除草剤のかかった草を舐めたり、余計なものを食べて下痢したり・・・。
ご注意くださいませ。
さて、今回のブログ、遅くなりました。
先月末から、何とかこのブログにスサノウの家系図を載せようと努力しましたが、ブログのソフト能力の限界か?私のやり方が間違っているのか?全くできません。
仕方なく、ホームページの別欄に載せましたので、ご覧ください。
今迄の記事の総まとめです。

次回から、このスサノウの出現が西洋神学とどの様な関わりがあったかを、推察してみたいと思います。
物事すべからく原因なくして結果はありえません。
神が生きて今尚、働いておられるとするなら、堕落した我が子=人類を救うために、救いの手を差し伸べ続けておられるはずです。そういう神の計画に、スサノウはどのように関わっていたのか?これが今後の課題です。
以上
posted by 城北通り動物病院松江 at 18:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

元号改定の謎? 〜出雲の国譲りの真相〜後半〜

皆様、こんにちは。暖かくなってまいりました。同時に花粉症に悩む日々です。
いよいよ、「春の予防の季節」到来です。フイラリア、ノミ・マダニの予防はキッチリ行いましょう。

では、前回の続きです。
九州・日向の大日霊女(卑弥呼=アマテラス)は、日本国全土の掌握に乗り出します。手始めに出雲の国を手中に治めんと、出雲国の正当な相続者で、オオクニヌシの末子、武御名方(タケミナカタ)に対して、政権を譲るように使いを出しますが、武御名方は自分の方が正当な相続人ですから、納得しません。そこで、日向軍が出雲に乗り込んできます。

出雲の他の豪族たちも、スサノウの正当な相続人である武御名方とスセリ姫に、同情はしたものの、いかんせん、日向族の全軍が乗り込んできては、意気消沈せざるを得なかったようで、大きな戦にはならず、武御名方は残った軍勢を連れて船で北陸、石川県、能登半島の方に逃げます。能登半島の入り口に志雄町というところがあります。ここの志雄神社には武御名方が祀られ、今でも毎年10月の神無月には、全国の神様が出雲に集まるから他の地方は神無月と呼びますが、ここの志雄神社では「出雲に行かず留守番している」と記されています。

武御名方は手勢を集めて再起をはかり、出雲を奪還しようとしたようですが、勇猛な武甕槌(たけみかづち)と経津主(ふつぬし)が更に追いかけて行きます。
結局、逃亡生活を余儀なくされ、長野まで逃げ込んで、最後は諏訪で降参して、「二度と出雲には帰らない」という約束を結ばせられます。全国の諏訪神社にはこの出雲の正当な相続人である武御名方が祀られています。

日向の将軍、武甕槌は何故?武御名方を殺さなかったのか?
逃亡の身でありながらも、当時の出雲の先進文化の知識を持った武御名方は行く先々で住民から尊敬されています。ですから、逃亡ルートの神社には武御名方が祀られているのです。しかも、一応出雲の正当な相続人ですから、殺すより生かしておいた方が、全国の統治がしやすいと考えたのでしょう。丁度、終戦時、マッカーサーが天皇陛下をそのまま留めて、全国統治を考えたのに似ていますね。

武御名方に誓いを取り付け、出雲の地は「猿田彦」という人物に統治をまかせます。この人はもともと出雲出身で、九州統治に出向していて、大日霊女に気に入られていた様で、出雲を統治するのは地元出身が良いと判断したのでしょう。
現在の松江市佐太町にある佐太神社(かつてはオオクニヌシの墓陵、熊野大社を一の宮、この佐太神社を二宮と称した)に祀られています。
スサノウの政治を受け継いで、隠岐の島や出雲の168カ村の村長(当時は神と呼ぶ)を集めて、民主政治の会議をこの佐太神社の場所で行いました。それが10月だったので、この佐太神社だけは「神あり社」といい、隠岐や出雲は村長(神)がいないということで「神無月(かんなづき)」と呼んだようです。
それを日本中の神様にして、場所も出雲大社にすり替えたのは、400余年も経ってからのことです。
武御名方が諏訪に生涯居住したので、諏訪の町には今も神無月はありません。
以上が「出雲の国譲り」の真相です。

後日談ですが鎌倉幕府の時代に、武御名方の恨(生涯、出雲には還らないと言う盟約)を解く為に、直径の子孫で中沢備前守という人がスサノウの聖地、島根県の須賀地方の地頭を申し出て乗り込み、ここを諏訪村と改名させ須賀神社に武御名方を合祀したそうです。
しかし、明治時代になって、いくらなんでも・・・ということで、元の須賀村に戻したという記録があるようです。

「赤穂浪士」のような話で、日本人はどうも昔からこういう思想があったようです。
武御名方がいかに人気があったか。歴史はたいてい負けた方は評価が下がったり、消されたりしますが、この人物はとても人気があり全国に武の神、強い神として諏訪神社の名前で祀られています。その数、数千か所・・。

最後に、大日霊女(卑弥呼=アマテラス)は大和に自分の子孫(伊波礼彦尊=神武天皇)を送り込み、全国統一を果たします。今、三重県の伊勢神宮に祀られているのが天照大神(大日霊女尊)で、歴代の天皇が必ずお参りされます。
現在の天皇家は大元はスサノウから始まっていますが、この日向族の系統です。
ですから、出雲族は中央から冷遇され続けています。

これは私の見解ですが、明治以降で、島根県出身の総理が2人出ています。一人は「若槻礼次郎」、もう一人は「竹下登」。
面白い事に、この総理の時に、「元号」が変わっています。大正から昭和になる時、若槻首相、昭和から平成になる時竹下首相。何故でしょうか?
日向族の統治とはいえ、スサノウの正当な相続は出雲ですから、一応、「出雲地方出身の首相の時に、出雲の了解を取る」という理由ではないでしょうか?
来年の元号は、現在の天皇陛下が自主ご退位されますので、この‘偶然’はないかもしれませんが・・・。以上。

佐太神社.jpg 猿田彦の政庁跡 佐田神社


熊野大社 春.JPG  熊野大社 春

posted by 城北通り動物病院松江 at 20:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする