2017年01月03日

あの世はどんな世界?・・・死後の世界の実相 〜出雲神学からの考察G〜

皆様、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年もよろしくお願いします。
このテーマを本当は昨年12月に書くはずでしたが、多忙を極めて無理でした。遅くなってすみません。正月早々、お盆時期のような話です。
しかし、今年の正月は暖かいですね〜。元旦の昼間、実家近くの神社(出雲一の宮:熊野大社)に行ったら、長蛇の列。あきらめて帰りました。

さて本論。死後の世界の実相です。人は死後、どのような世界に行くのでしょうか?故人ですが、「丹波哲郎」という俳優さんが、自分は霊界のメッセンジャーだと言って映画を作ったりされていました。では、いつもの友人の弁からです。

友人:以前もお話ししましたが、自然は3数をベースに創造されています。たとえば私たちの指は3つに曲がります。頭部、胴体、脚部の3数。ホップ・ステップ・ジャンプと3数。アメリカ大統領の演説など聞いていても、必ず何かの例を述べるとき3つの例を強調します。
私:なるほど、意識して聞いてみると、3回強調すると説得力ありますね〜。

友人:人は母親の胎内で10月10日過ごします。その時は、まさかこの様な地上生活があるなんて夢にも思いません。生まれてみると狭い胎内と違い、美しい自然やおいしい食べ物など、胎内の中では想像もできない世界に出てきますね。3段階原則を考えれば、次の世界、地上では考えられない世界が次の段階には必ずあるはずです。
青虫が蛹から蝶になって自由に飛び回るように、人は地上の80年〜100年の生涯を終えたら、不自由な体を脱いで、魂(霊人体)になって自由に霊界を飛び回るそうです。

私:では、死んでも怖くないですね。むしろもっと自由になれるんでしょうか?
友人:ハイ。このような霊界が本当にあるかどうか?こればかりは死んでみないとわかりません。ただ、最初から全く無いものなら、今までの長い人類歴史で、宗教だの霊通する人だのが現われる必要も根拠も無いはずです。
神が親として人類を創造したのなら、(当然肉体の限界はありますから)地上生活を終えたら霊界で我が子と永遠に一緒に暮らしたいと願うのが親の立場でしょう。

私:では、天国ってどんなところでしょうか?
友人:残念ながら、私たちが希望するような天国はまだ完成できていないということです。
聖書には、「地上で成就することが天でも成就する」と書かれています。いろいろな霊通人の方たちは、あの世はこの世では表現できないくらいきれいで素晴らしい世界だと言います。確かに、神が創造された地上世界と同じく、天上世界(霊界のこと)もわが子と永遠に暮らしたいとするなら、当然美しい世界のはずです。
しかし、ここで神に対する考え(神観)が重要になってきます。従来のキリスト教では、神は全知全能・何でもできる方、恐れ多い方であり、人間は堕落した罪深い存在と解釈してきました。しかし、最新の神学では、「神は解放されるべき親」と解釈するのです。

今までの神観は、幼児が親の姿を見て時に怖く、時に甘えたい存在と見るような神観でした。科学と社会が発展した今日、いつまでも「幼児信仰」では本物が見えないのです。子が成人になるように、「堕落して神が見えなくなった人類を必死に救おうと歴史を引っ張ってきた神を、どうやって解放してあげるか?」という大人の神観が必要な時代です。

したがって神が解放されるまで、天国はありません。神の一人子と言われたイエス・キリストですら、楽園にいるのです。地獄、中間霊界、楽園、天国の順番と言われます。
今まで亡くなったすべての方で天国に入った人は一人もいません。天国とは神がその悲しみの心を完全に解放されて、初めて出来上がる世界なのですね。

私:では、私たちの先祖も、だれもかも、どんなに生きているときに人々のために尽くして善行を施した人でも、天国には行けていないのですね。

友人:ハイ。理論的に分析すればわかることです。霊界の位置は自分の良心が決める様です。良心は神と通じる部分ですから。たとえば地上で恨みを持って死んだら恨みの霊界に何千年も留まるようです。痛い思いをして亡くなれば、ずっとその思念が残って霊界に行きますから、どんなにきれいな世界を見ても、痛い〜痛いという人々と同じレベルの霊界まで自分で降りてしまい、ずっとそこに留まるのです。それが、地獄と呼ばれたり、中間霊界と呼ばれたり。
ですから、生きているうちに恨みや悲しみや痛みや辛さの思念を全部解放して、穏やかに旅立たなければ、そういう高い霊界に行けません。
生涯無信仰で、自己中心に生きて来て死ぬ間際に、アーメンと唱えて懺悔すればイエスの元に行ける・・・???盗みや人殺しや不倫しまくって、阿弥陀仏に帰依すれば許される・・??とんでもない話です。
それで許されるなら、そんな人達のせいで犠牲になった方々はどうしますか?あまりにも不平等でしょう。
霊界は原則と法則に厳しい世界です。罪を犯したならそれに見合う贖罪の条件を生きている間に、ある一定期間立てて行かなければ、死んでからは贖罪も何もできなくなります。
肉体を持って罪を作ったのですから、肉体で償う以外道はないのです。
だから、地獄や中間霊界に何百年、何千年と留まり続けねばなりません。

唯一、解放できるのは地上の子孫が生きている間に、身代わりの贖罪条件を立ててくれることです。これが贖罪の原則論です。

最後に、神は全知全能で親の心を持った存在ですが、人に自主性と創造能力を与えた以上、人のやることには干渉できないという原則の神なのです。だから、助けたくても人が親に向かなければ、手が出せない・・・もどかしい神なんだということです。

私:体が不自由なら霊界に行って自由になれると以前聞いたことがあります。しかし、逝く前に反省と善行が必要なのですね。新年早々、心を正されます。
この続きは次回に・・・・。


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出雲一の宮 熊野大社  元旦参拝風景
posted by 城北通り動物病院松江 at 10:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月21日

神の定義 ・・神は科学で説明可能か? 〜出雲神学からの考察F〜

皆様、こんにちは。今年もあと1か月余り。月日の経つのは早いものです。日を増すごとに朝夕冷え込んできました。風邪などひいておられませんか?十分にご自愛ください。

さて、今回は‘神’ってどんな存在なのでしょうか?という事です。これだけ科学が発達していますから、ある程度は理論的に分析できるのではないでしょうか?
ここからは、また友人の話です。
友人:聖書の創世記に、「神の見えない性質・神性は天地創造このかた被造世界において認められる」とあります。つまり、この世の自然を分析するとわかるという事ですね。
東洋思想で「陰陽五行説」というのがあります。全ての存在は陰陽で成り立つという事です。これは神学にあてはめると次のように解釈できます。
人は男性と女性、動物も雄と雌、植物もオシベとメシベ、分子レベルでは陽イオンと陰イオン、原子も陽子と電子、素粒子もクオークとレプトンから成り立っています。この様に全存在が陽陰に分ける事ができます。・・・という事は、この世を神が創造したなら、おおもとの存在(=神)も陽性と陰性を持つという解釈が成り立ちます。

私:陽陰ですか?そういえば昔、私の大学の大先輩が腸管内の免疫に関与するという大腸菌の研究をされて、「大腸菌にも雄と雌が存在する」ということを発見され、獣医師でありながら医学博士を取得しています。

友人:ミクロ〜マクロまで、あらゆる存在が陰陽で分析できるなら、「創造説」から考えれば誰でも、神自身が陽陰の中和的存在という事が解る筈です。
でも、それだけだと愛情や思いやり等という‘温かみ’が欠けます。神が単なる宇宙のエネルギー体というだけでは、不完全な理論です。更にもっと深く分析すると、人には目に見えない心と見える身体がありますね。動物も本能と身体、植物も心と体があります。

私:植物の心の話は聞いた事があります。ある実験で、愛情をこめて水を与える株と早く枯れろといって水を与える株を比較したら、同じ環境条件なのに後者が早く枯れたそうですね。

友人:ハイ。電気も空気も見えないけど存在しています。ミクロの分析では、同じ様に分子もイオン化すれば、特定の相手に向かって結合するという性質と分子体を持ち、原子も同じように特定反応する性質と原子体(素粒子)を持っています。このように、物質を構成する見えない微粒子から、見える大きなものまで全てに見えない性質と見える形から成り立っているなら、当然これを創造した神も「心(内性)の部分」と「見えないけど存在するエネルギー体(形状)」からなっていると考えるべきです。
聖書の創世記には「神は自分の形に似せて人を創造した」とあります。神に最も近しい存在が人なのですね。
大変大まかですが、以上をまとめると、先述した陽と陰のそれぞれが、性質と形を持つと考えると、神は以下の定義になります。
「神とは陽と陰の二性質の中和体であり、更に性質(性相)と身体(形状)の二性の中和的存在である。そしてこの世の世界を対象として主体の立場をとる。」と分析できます。
これが現代神学の神髄になります。(本当はもっと詳しく難しい表現ですが・・・)

私:難しいですね。でも、そうやって分析してみると、今まで漠然としていた神の姿?が明確になりつつありますね。
昔、ある人からこう言われました。「神の存在?そんなの当たり前でしょう。だって、植物の花は人間の背丈と視界に合わせて高い木の花は下向きに、低い花は上を向いて咲いている。人が楽しみやすい様に。また、バナナやリンゴやちょっと大きなスイカだって、人が扱いやすい様にできているでしょう。直径2mのスイカが出来たら、どうやって畑から家に運びますか?切るのも大変。
進化論のような突然変異なら、長〜い歴史の中で直径2mのスイカやリンゴが出来てもおかしくないでしょう?何らかの‘明確な意志’がないと、こんなに人の生活に即した物はできないでしょう?親は子供の育ちやすい環境を整えるものですよ。」と。
確かに、神は最初にこの世界を創造して、最後に人を誕生させたとありますから、我が子である人が暮らしやすい環境を創ったという事ですね。

では、神が居るというあの世(霊界)ってどんな世界でしょうか?
この続きは次回に・・。

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posted by 城北通り動物病院松江 at 10:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月17日

‘悪’の正体V  ‘原罪’という遺伝子 〜出雲神学からの考察E 〜

皆様こんにちは。秋風と共に、朝夕が肌寒くなりました。お変わりございませんか?
今月は、悪の正体パートVです。すみません。毎回少しづつ長文になります。

人類始祖アダムとイブ(エバ)が天使長ルシファーの誘惑に引っかかり、血統が汚れるというとんでもない淫行の罪を犯した事はこれまでに述べました。
今回は、その結果、私たちの遺伝子に何がインプットされたのか?という問題についてです。またも私の友人の弁からです。

友人:キリスト教では‘淫行’を最大の罪と考えます。その影響か?イスラーム(イスラム教とは言いません)社会では、女性は人前で肌を露出してはならないし、顔はベールで覆います。また、イスラームの厳格な社会では、禁酒します。これは、酒が入ると最後は喧嘩か不倫におぼれるからです。
淫行の罪で、エバはサタン(堕落天使ルシファー)から何を引き継いだのでしょうか?
それは、自分本位な考え、責任転嫁、不倫な情欲、神(親)の立場に立てない、自分のあるべき位置を離れる、過分な欲望・・・・等、現代の私達がほとんど持っている‘嫌な部分’を相続しました。これを「堕落によってもたらされた悪性格」と言います。

私:なるほど。私たちの良心に照らしてみて、呵責を感じるような事すべてですね。それって、遺伝するんですか?

友人:そうです。宗教界では‘淫行’は殺人より重い罪と考える方が多いです。「血統の汚れ(血が濁る)」と考えます。男女の性問題が厄介なのはそれによって子孫が繁殖する事です。結局、性の問題は「遺伝子の交わり」です。遺伝子というと私たちはDNA核酸の連鎖配列を考えますが、科学で解明できていないもう一つの大きな要因:つまり「人の考え、性格や生活様式が遺伝子情報にインプットされていく」ことにより、各自の遺伝子が形作られるという事です。
露骨な表現をしますが、例えば男女が複数の相手と肉体関係を持つと、必ず「比較する心」が生まれます。そういう思いは遺伝子にインプットされて、子孫に遺伝します。元来男女の愛とは、生涯1人の相手の方のみを愛し続けるものです。そして、神に認められた結婚を経て家庭を築き、神を中心に置いた家庭生活が理想なのです。(神の三大祝福)
しかし、「比較の心」は後悔や過分な欲望をもたらします。もし親がそんな思いで、何回も離婚・再婚を繰り返せば、その遺伝子を受けて生まれた子も離婚・再婚など当たり前の事と思い、妥協してしまうようになります。それこそサタンの思うつぼなんですね。・・・
結局離婚した家庭の子は、小さい頃から学校でも家でも寂しく辛い思いを抱く様になります。そんな不幸と苦しみを抱えて崩壊する家庭を、背後でニンマリ笑って応援しているのがサタンとその手下の悪霊たちなのです。
私:最近は世界的に離婚率が高いと聞きます。身近でも離婚家庭を見てきています。親も子も本当に苦労しています。その原因は、若い人たちに「我慢する。忍耐する。」事が無くなったから?と思っていましたが、背後のサタンという見えない悪霊の仕業が大きな原因なんですね。

友人:現在の私達・人間は良心という神が働く部分と、堕落した悪性格というサタンが相対するという2つの性格があります。しかし残念ながら、どんなに清廉潔白な人生を過ごしても、サタンがまとわりついて離れない根本原因は、‘原罪’があるからです。
例えば、山田家に生まれたとします。当然山田の血統を持っていますね。自分で、他の家に生まれたかったと言っても変更不可能ですね。それと同じく、アダムとエバがサタンの血統を継いでエデンから追い出された為、子孫は綿々と「サタンの子孫」というレッテルを貼られているのです。これを‘原罪’といい、人間自身がどうこうできるものではありません。
私:そのレッテル、剥がせませんかね〜??

友人:その原罪を除去して血統を生みかえるために、神が長い歴史をかけて地上に送った人物が‘メシヤ=救世主’という人物です。今から約2000年前に現れたのが、(クリスマスで価値もわからず世界的にお祝いしている)「イエス・キリスト」だったのですね。当然、この方は原罪がありません。世界中で、原罪のないピュアーな人として誕生したのは、このイエスだけなんですね。

私:ふ〜む。仏教の開祖、お釈迦様や儒教の孔子様も原罪はあるんですか?

友人:残念ながら、あるのです。どんなに有名な宗教家・哲学者も結局、神の本質が解らなかったのと、悪の正体が解明できなかったので、原罪のある人物のままなんですね。
神は堕落した人類を救おうと必死に働いて来たと言いましたね。その方法・手段は唯一、「原罪の血統を消し去る」という事です。そのためには、地上に無原罪の人を誕生させねばならなかったのです。

私:ふーむ。では、神に見捨てられてはいないんですね〜。

以上。この続きは次回に・・・・・。

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秋晴れの日本海 美保関灯台から望む
posted by 城北通り動物病院松江 at 19:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする