2017年03月11日

家庭の重要性   〜出雲神学からの考察I〜

皆様こんにちは。桃の花が膨らんで、春めいて参りました。お元気でしょうか?
今回は「家庭」というものがいかに重要か?ということを掘り下げます。

前回までの現代神学のポイントを整理してみましょう。
1. 神はわが子として人を創造されたということ。したがって神と人間の関係は愛を動機とした親子の関係であること。
2. しかし人類始祖は、成人になる前の自己責任が試される重要な「成長期間」に、神の戒めを破って姦淫の罪を犯してしまったということ。本来神が共に住もうと何億年もかけて創造されたエデンの楽園から追い出されて、神も干渉できない立場に人々は堕ちてしまったこと。
3. 神が人類始祖の堕落に干渉できなかったのは、神のすべての能力である創造性・自主性・主体性を人類に付与するために、神自身も干渉できない期間(成長期間)を設けて、その期間は人間自身の考えのみで行動するように決められた為であること。
4. 人類最初の女性であるエバを天使長ルシファーが奪ってしまい、その血統を汚したため、この世の人類はサタン(ルシファー)の子孫となって知らず知らずに破滅の道を歩んでいること。
5. しかし、神は親であるがゆえに決して救いをあきらめず、神の一人子であるイエス・キリストを使わされ、サタンと関係のない無原罪の家庭を作って新しい出発をされようとしたこと。
6. しかし、サタンはそのことを死にもの狂いで阻止するため、イエスを十字架につけて殺してしまったということ。
7. 神はなおもあきらめず、必死に人類を神の元に導くために、聖書を歴史に残し黙示録に再臨のキリストを地上に送ると予言されたこと。
以上が今までの話しをまとめた内容だったように思います。
では、神が望まれる家庭とはどのようなものなんでしょうか?例によって友人の弁です。

友人:家庭が如何に重要でしょうか?それは愛が動機となって出発したものだからです。
たとえば、ある人は「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は人同士が自分の権益を得るところです。そして宗教も神様を見出すありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。それで神様を見出すことはできますが、愛は見出せません。本当の愛は家庭で探さなければならないのです。

私:なるほど。そういわれればそうですね。
友人:いくら会社に出て行ってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭の無い人は不幸な人です。またいくら政治の分野に進出して大統領になったり国会議員になったりしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭が無くなるときには不幸な人です。有名な宗教指導者になり、その教団の信者から愛を受けると言っても、その愛だけではダメです。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。

いくら世界万民のために働いたとしても、自分の家庭を幸せにできなければ、不幸な人です。愛の理想は家庭から実現せねばなりません。家庭は幸福の巣です。天国は家庭から始まるのです。だから、家庭の出発である「正しい結婚」をしなければなりません。
何が正しいかは神とつながっている良心に聞けばわかります。良心の呵責を感じることは自分を不幸の谷間に追い込むことになります。

母親がわが子を抱いています。ある人が来て、かわいいお子さんですね〜。お母さんより千倍もかわいいと言います。それを聞いた母親は嬉しくなるでしょう。しかしよく考えると、この子より母である自分は千倍醜いということです。しかし、「なんですって、私が千倍醜いですって!」・・・・そんな事を叫ぶ母はいません。
これが無条件の愛の姿なのです。

私:子供を持った母はみなそうですね。よくわかります。だから家庭の愛が最も尊いのですね。
・・・この続きは次回に・・・。

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2017年02月04日

神の愛、本当の愛とは?〜出雲神学からの考察H〜

寒中お見舞い申し上げます。巷ではインフルエンザが猛威を振るっていますが、皆さまは大丈夫でしょうか?
先月後半、私もインフルエンザにかかってしまい、開業して初めて、緊急休診を4日間余儀なくされました。飼い主の皆さまに多大なるご迷惑をおかけしました事をお詫び申し上げます。なんとか体調も戻ってきた状態です。

さて、今回は知識より、お金より、名誉より、命より、何よりも大切と言われる「真実の愛とは?」という内容です。例によって友人の弁からです。

友人:世の中には愛という言葉が氾濫しています。親子の愛、男女の愛、友人との愛、同性の愛、人と動物との愛・・・など様々ですね。一体、本当の愛(=絶対愛)ってあるのでしょうか?
この世を創造された神の創造の動機を考えてみる時、聖書の冒頭、創世記には、人を作った時「はなはだ良かった」と感動の表現があります。
「自分の形に人を創造した」と書かれています。見えない無形の神が一人ぼっちだと幸福など感じる事はありません。必ず何らかの対象がいて、その姿に自分の姿を映すから幸せなのです。
私:ふ〜む。まさに親が我が子を見る感覚ですね。

友人:そうです。しかし、現代の堕落世界(天使長ルシファー=サタンが全てを支配している)では、親子の愛といっても十人十色です。我が子を溺愛しすぎて子離れできない人やら、子が邪魔で捨てる人など様々。神の持つ親の愛=‘本当の愛’とは、為に生きる愛なのです。
自分の命を犠牲にしてでも、我が子を守ろうとする愛ですし、与えた事を忘れてしまう愛なのですね。普通、親が子を育てて成人になったら、学費と食費が今までこのくらいかかったから、利子付けて返せと言いますか?そういう親御さんはあまりいないと思います。

神の愛の極致は、「恩讐までも愛する」という境地です。それを歴史が証明しています。
今迄お話した中の「堕落の経過」にありました様に、数億年という歳月でやっと誕生させた自分の大事な人類始祖アダムとイブ。その中の一人娘(イブ)を、世話していた使用人(天使長ルシファー)が勝手に奪って、そして一人息子の位置まで奪ってしまった、正に神にとっては恩讐の中の恩讐のサタンです。

以来、人は堕落して、善と悪の両方の心を持ってしまったから、絶対善だけの神は直接手を施せません。しかし親元を離れてしまったとはいえ、善の心が残っている人類始祖とその子孫たちをそのままにはできないので、「救いの計画」を神は立てられるのです。それが、人々を正しい位置に戻すために、その教育者として地上に送ったのが、救い主イエス・キリストだったのですね。

私:イエス・キリストって、あのクリスマスの主人公ですね。世界中のキリスト教徒の信仰の的ですね。

友人:そうです。神の独り子、原罪のない人として今から約2000年前に生まれました。東のかなたから3人の博士が啓示を受けて、お祝いに駆け付けたという奇跡の人です。
しかし、現実は大工の息子として生まれていて、結局人々を必死に神の元へつなげようと生涯を捧げましたが、当時の人々はイエスの本心がわからず、十字架につけて殺してしまったのです。その後、弟子たちが悔い改めて命がけで教えを述べ伝えたので、現在のように世界中にキリスト教が広がったのですね。

私:では、神の救いの計画は成就したのですか?
友人:いえいえ、めっそうもない。イエスの本来の目的は、堕落したアダムとエバの代わりに、堕落しない人物として、純粋な女性を探して結婚し、「無原罪の家庭」をつくり、子孫を繁栄させねばならない使命があったのです。しかし、残念な事に独身で、わずか33歳の若さで殺されたのです。
しかし、イエスは精神的には勝利しました。ですから、イエスを信じるものは生涯の行いが正しければ、霊界に行ったらイエスの元まで行けるという事、つまり楽園までは行きつけるという事です。天国には入れません。なぜなら、神の創造の原則が、天国とは「無原罪の人が家庭を築いて入る場所」と定めたからです。
肉体的にはイエスは失敗です。家庭が作れなかったからですね。

私:では?私達人類はもう神の元へ帰れない、救われないという事ですか?
友人:違います。神は簡単に救いの計画をあきらめません。それが、本当の愛だからです。だから、聖書の66巻の最後に、「黙示録」というのが出てくるのです。黙示録とは、将来の神の計画書なのです。それによると、イエスから2000年後に再臨のイエス(救い主)を遣わすと書かれています。歴史の失敗から人類が真摯に学べば、再臨のキリストが現れた時、その人に人々がしっかり繋がれば、救われるはずなのですね。現代のキリスト教神学の結論は、この再臨主を迎える事なのです。

私:では、まだ希望はあるのですね。本当の愛とは、諦めない、忘れない、命がけで為に生き切る、恩讐までも愛する、という事ですね。言葉では簡単でも実践は難しい・・・。

この続きは次回に・・・・。

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実家のミミちゃん  大きな顔

posted by 城北通り動物病院松江 at 19:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月03日

あの世はどんな世界?・・・死後の世界の実相 〜出雲神学からの考察G〜

皆様、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりありがとうございました。本年もよろしくお願いします。
このテーマを本当は昨年12月に書くはずでしたが、多忙を極めて無理でした。遅くなってすみません。正月早々、お盆時期のような話です。
しかし、今年の正月は暖かいですね〜。元旦の昼間、実家近くの神社(出雲一の宮:熊野大社)に行ったら、長蛇の列。あきらめて帰りました。

さて本論。死後の世界の実相です。人は死後、どのような世界に行くのでしょうか?故人ですが、「丹波哲郎」という俳優さんが、自分は霊界のメッセンジャーだと言って映画を作ったりされていました。では、いつもの友人の弁からです。

友人:以前もお話ししましたが、自然は3数をベースに創造されています。たとえば私たちの指は3つに曲がります。頭部、胴体、脚部の3数。ホップ・ステップ・ジャンプと3数。アメリカ大統領の演説など聞いていても、必ず何かの例を述べるとき3つの例を強調します。
私:なるほど、意識して聞いてみると、3回強調すると説得力ありますね〜。

友人:人は母親の胎内で10月10日過ごします。その時は、まさかこの様な地上生活があるなんて夢にも思いません。生まれてみると狭い胎内と違い、美しい自然やおいしい食べ物など、胎内の中では想像もできない世界に出てきますね。3段階原則を考えれば、次の世界、地上では考えられない世界が次の段階には必ずあるはずです。
青虫が蛹から蝶になって自由に飛び回るように、人は地上の80年〜100年の生涯を終えたら、不自由な体を脱いで、魂(霊人体)になって自由に霊界を飛び回るそうです。

私:では、死んでも怖くないですね。むしろもっと自由になれるんでしょうか?
友人:ハイ。このような霊界が本当にあるかどうか?こればかりは死んでみないとわかりません。ただ、最初から全く無いものなら、今までの長い人類歴史で、宗教だの霊通する人だのが現われる必要も根拠も無いはずです。
神が親として人類を創造したのなら、(当然肉体の限界はありますから)地上生活を終えたら霊界で我が子と永遠に一緒に暮らしたいと願うのが親の立場でしょう。

私:では、天国ってどんなところでしょうか?
友人:残念ながら、私たちが希望するような天国はまだ完成できていないということです。
聖書には、「地上で成就することが天でも成就する」と書かれています。いろいろな霊通人の方たちは、あの世はこの世では表現できないくらいきれいで素晴らしい世界だと言います。確かに、神が創造された地上世界と同じく、天上世界(霊界のこと)もわが子と永遠に暮らしたいとするなら、当然美しい世界のはずです。
しかし、ここで神に対する考え(神観)が重要になってきます。従来のキリスト教では、神は全知全能・何でもできる方、恐れ多い方であり、人間は堕落した罪深い存在と解釈してきました。しかし、最新の神学では、「神は解放されるべき親」と解釈するのです。

今までの神観は、幼児が親の姿を見て時に怖く、時に甘えたい存在と見るような神観でした。科学と社会が発展した今日、いつまでも「幼児信仰」では本物が見えないのです。子が成人になるように、「堕落して神が見えなくなった人類を必死に救おうと歴史を引っ張ってきた神を、どうやって解放してあげるか?」という大人の神観が必要な時代です。

したがって神が解放されるまで、天国はありません。神の一人子と言われたイエス・キリストですら、楽園にいるのです。地獄、中間霊界、楽園、天国の順番と言われます。
今まで亡くなったすべての方で天国に入った人は一人もいません。天国とは神がその悲しみの心を完全に解放されて、初めて出来上がる世界なのですね。

私:では、私たちの先祖も、だれもかも、どんなに生きているときに人々のために尽くして善行を施した人でも、天国には行けていないのですね。

友人:ハイ。理論的に分析すればわかることです。霊界の位置は自分の良心が決める様です。良心は神と通じる部分ですから。たとえば地上で恨みを持って死んだら恨みの霊界に何千年も留まるようです。痛い思いをして亡くなれば、ずっとその思念が残って霊界に行きますから、どんなにきれいな世界を見ても、痛い〜痛いという人々と同じレベルの霊界まで自分で降りてしまい、ずっとそこに留まるのです。それが、地獄と呼ばれたり、中間霊界と呼ばれたり。
ですから、生きているうちに恨みや悲しみや痛みや辛さの思念を全部解放して、穏やかに旅立たなければ、そういう高い霊界に行けません。
生涯無信仰で、自己中心に生きて来て死ぬ間際に、アーメンと唱えて懺悔すればイエスの元に行ける・・・???盗みや人殺しや不倫しまくって、阿弥陀仏に帰依すれば許される・・??とんでもない話です。
それで許されるなら、そんな人達のせいで犠牲になった方々はどうしますか?あまりにも不平等でしょう。
霊界は原則と法則に厳しい世界です。罪を犯したならそれに見合う贖罪の条件を生きている間に、ある一定期間立てて行かなければ、死んでからは贖罪も何もできなくなります。
肉体を持って罪を作ったのですから、肉体で償う以外道はないのです。
だから、地獄や中間霊界に何百年、何千年と留まり続けねばなりません。

唯一、解放できるのは地上の子孫が生きている間に、身代わりの贖罪条件を立ててくれることです。これが贖罪の原則論です。

最後に、神は全知全能で親の心を持った存在ですが、人に自主性と創造能力を与えた以上、人のやることには干渉できないという原則の神なのです。だから、助けたくても人が親に向かなければ、手が出せない・・・もどかしい神なんだということです。

私:体が不自由なら霊界に行って自由になれると以前聞いたことがあります。しかし、逝く前に反省と善行が必要なのですね。新年早々、心を正されます。
この続きは次回に・・・・。


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出雲一の宮 熊野大社  元旦参拝風景
posted by 城北通り動物病院松江 at 10:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする