2020年07月31日

神学に見る再臨論の新解釈 A

皆様、こんにちは。梅雨の豪雨で水害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
ただでさえ新型コロナで大変な時期に、天災まで・・・・。人類はかつてない程の‘試練’を受け続けています。
いつになったら新型コロナウイルスに対するワクチンが出来上がるのでしょうか?
夏を迎えても増え続けるコロナ陽性患者のニュースに戦々恐々の毎日です。ちょっとした油断が感染を増大させますし、よしんばコロナ症から回復しても、肺にかなりのダメージが残るという話を聞きます。生涯、呼吸が苦しく酸素ボンベを傍に置かねばならないような事態だけは、何としても避けたいものです。皆様、充分にお気を付けくださいませ。

では本題です。前回に続き再臨論の新解釈・パートAをいつもの友人に語っていただきます。
友人:イエスの再臨はどのような形で成されるのでしょうか?イエスはかって弟子たちに再臨については次のように話しました。「人の子もその日には同じようであるだろう。しかし彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない(ルカ伝17:24〜25)」。一方で、ダニエル書7:13には「私はまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のようなものが、天の雲に乗ってきて・・・」とあります。このダニエル書の記述により、多くの人々は再臨のキリストが「雲に乗って来る」と信じてきたのです。
ここで、冷静に解釈してみましょう。もし、本当に天の雲が割けて、光とともに肉体を持った人物が、孫悟空みたいに「雲に乗ってきた」ならば、地上のキリスト教徒はほぼ全員その方を崇拝し、黙って従うでしょう。なのに何故、ルカ伝にあるような「人の子=神の子は地上で苦労する」と言ったのでしょうか?
これまで聖書の預言は二面性があると言いましたが、どんなに神がある事を望んでも、人は自由意志と主体性(神の子という立場を与えられているから)が備わっています。その為にエデンの園で堕落したように、思い通りには行きません。親になった方ならわかると思いますが、子供たちは親の願うようには、なかなか向かってくれないのと同じです。
上記の2つの解釈も、人々が信じて最初から再臨主を歓迎するなら良いのですが、イエスの時のように「大工の息子」扱いをされて神の子と認めてもらえなかったと同様に、苦労するしかないという解釈です。
今まで解説してきましたが、再臨主が地上に使わされる目的は、堕落してサタンの血統を引き継いでしまい、良心と肉身の欲望との葛藤に嘆く現代人に、「サタンの血統を断ち切って神の血統に接ぎ木する使命」を持って来るのです。原罪のない立場で地上に生まれて正しい愛の模範家庭をつくり、その見本を示しながら地上に天国をつくるという壮大な目的のために再臨主は出現せねばなりません。
ただ霊魂だけを信じて、「あの世に行ってから天国に入る」というような非合理的な従来神学の解釈では、わざわざ再臨する意味がありません。
更に、「三度目には必ず成就しなければならない」という神の絶対原則がある以上、アダム・イエス・再臨主の三番目には、神が本来願った創造目的である「地上天国」を現実に創らなければならないのです。
結論から言うと、再臨主は地上に誕生しなければなりません。「雲に乗って来る」という句をそのまま信じ続けている人々にとっては、地上で誕生したその人物を‘異端者’扱いするでしょう。
旧約時代にイエスの降臨を預言したマラキという人物が「メシヤ降臨に先立ってまずエリヤが来るだろう」と言いました。エリヤとは紀元前930年ごろの人で、ソロモン王の死後南北王朝分立時代を迎えた時代です。神の意向から外れて偶像を信奉した人々を批判し滅ぼして、我がユダヤ民族の中にメシヤ(キリスト)が出現すると叫んで、昇天した人物です。
その後、イエス誕生の前に、最後の預言者と言われたマラキが、「神の子が来る前に昇天したエリヤが来る」と言い、イエス時代の人々は空を仰いで待っていました。
しかし実際には、信仰の厚い家系に生まれた洗礼ヨハネがそのエリヤに代わる人物だったのです。
同じように、再臨主は空から来るのではなく、あくまでも地上に誕生するのです。雲とは聖書の様々な記述から分析して、「信仰の深い信徒の群れ」の意味です。つまり、キリスト教の家系に生まれる…という意味です。
では、その誕生される国はどこでしょうか?この続きは次回に・・。

私:余談ですが、‘雲’が信心深い人の群れという意味なら、「出雲」はまさに信仰心の厚い人々が出てくる場所…という意味なんでしょうね。

エリヤ昇天.jpeg
エリヤの昇天 (ネットより)


洗礼ヨハネ.jpeg
神の子の証人:洗礼ヨハネ (ネットより)





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2020年07月06日

神学にみる‘再臨論’の新解釈

皆様、暑中お見舞い申し上げます。
世界的な猛威を振るった新型コロナウイルスも、人々の行動自粛と医療従事者の皆様の活躍により、一時期は治まりつつある様にみえました。しかし、自粛解除から1か月足らずでまたも再燃してきております。政府も自治体もこれ以上自粛を続ければ、経済の復興が出来なくなる恐れがある為、対策に苦慮する状況下です。
日本は長い間、加工貿易国として経済が栄えてきました。すなわち原材料を輸入し加工して輸出するという流れです。その形態が今は中国や東南アジアに移行しつつあります。かといって‘ものづくり日本’が復活しているわけではなく、このまま世界経済が失速すると、輸入に頼る日本は大きな痛手を受けます。
私の実家は山奥で、先祖代々僅かな面積の田畑を耕して生活しています。過疎化で若者は都会に出てしまい、残った年寄も次第に農業が出来なくなり、年々一つまた一つと田んぼが作られなくなってきています。
今こそ、コロナの影響も考え、若者が大挙して大都会を離れ、全国の地方の山間部に入り、休耕田を復活させて「自給自足の経済」を構築しなければ、将来の日本は完全に落ち込んでしまい、果ては中国に隷属する国になるのでは・・・と危惧する次第です。

さて、本題です。今回から、神学の最終結論ともいえる「再臨論」についてです。
例によって、友人の弁で解説です。

友人:聖書66巻の最後を飾るのが「黙示録」です。黙示録とは聖書の最後に出てくる予言書です。夢物語のような事が綴られていますが、その中に実はとても重要な内容が隠されています。
「人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。マタイ16.27(口語訳聖書)」では、イエスは明確に再臨する(再び来る)と明記しています。ではいつ?来られるのか?
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。マタイ24.36(同)」とあるように神様しか知らないと記してあります。
アモス書には、預言者を通じて啓示すると書かれ、黙示録3.3には「もし目を覚ましていないなら私は盗人のように来るであろう」とも表現し、反面「光の中にいる人には盗人のように不意に襲うことは無い(テサロニケ15.4)」とも言われています。
事実、イエスの降臨の時、イエスという人物をただの大工の息子としか見なかった人には盗人のように映り、洗礼ヨハネの家庭には明確に神からの啓示がありました。
 では、再臨主(再臨のキリスト)はいつ頃再臨するのでしょうか?神学ではイエスの再臨の時期を「終末」といいます。今まで述べましたが(※)、歴史の同時性を計算してみるとイエスが地上誕生されたのはアブラハムから始まりモーゼの出現からユダヤ民族社会の形成とユダヤ教の成立など、一連の旧約時代の2000年を経てでした。歴史の同時性から考えると、イエス以降、ローマ帝国の迫害〜キリスト王国時代、宗教改革期、産業革命の環境整備を経て、キリスト教が全世界に拡大される時代を新約時代と呼びます。その新約時代の2000年を経て再臨のキリストが誕生すると推察するのが最も合理性があります。
事実、1890年〜1900年前半に世界の各地で「再臨主が現れる」という啓示が降りて、再臨運動(再臨のキリストを迎える準備をしようという運動)が盛んに起こりました。
例えば、有名な内村鑑三は高い山に登り、聖書の預言のある「雲に乗って来る」という言葉を信じて空を見つめ続けたという実話があります。

(※:歴史の同時性の解説は当ブログの2019年3月〜2020年2月までを参照ください。)
この続きは次回に・・・。

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イエス・キリスト (ネットより)

内村鑑三再臨運動家.jpg
再臨運動家 中央が内村鑑三 (ネットより)



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2020年05月18日

スサノウ尊が作り上げた社会形態 〜出雲神学〜

皆様、こんにちは。
世界的なパンデミックであった新型コロナウイルス問題も、各国の必死の対策で少し落ち着きをみせてきたようです。国内では7月にいよいよワクチンの治験開始との事で、このまま大人しく治まってくれれば良いのですが・・・。このウイルス、熱や湿度に弱いとの事で、これからの季節には広がりにくくなるでしょう。しかし、悪いことに「急速に変異して強くなるウイルス」なので、たとえワクチン接種できても、様子を見ないとわかりませんね。日本はもとより、世界も長い不況から抜け出せればよいのですが・・・。特に医療関係者の方々のご努力に敬意を表します。

さて、本題です。以前も少し書きましたが西暦120年ごろ、つまり今から約1900年前の日本で、今のような文化や経済の機構も無かった時に、出雲に現れたスサノウノミコトは、市場を開いて物々交換制度の経済社会体制を作りあげます。
社会と言っても、当時の地域は島根県の現在の・出雲市・松江市・安来市、隠岐の島、あたりのエリアに限定されます。
それまでは各地域ごとに族長と呼ばれる人が部落をまとめていたようです。それを人望の厚いスサノウがまとめ上げました。

スサノウは古代の記録では一生涯戦って敗れたという記録が無いほど、優れた人物だったようです。頭も良くて出雲〜隠岐の島までを186か村に分けて、それぞれに神(村長)を置きます。
当時は村長を神と呼んだんでしょう。
スサノウの住まいは現在の雲南市大東町須賀の地で、須賀神社に祀られています。ここには現在スサノウ尊、クシイナダ姫、そしてヤシマヌノ尊(スサノウ夫妻の長男)、タケミナカタ尊(大国主・須世理姫の三男)が祀られています。この地は近場の大東町清田というところに製鉄所があり、松江市に通じる途中の要所であり、そして後ろには八雲山(三室山または須賀山とも呼ぶ)がそびえ、そこに上がると眼下に中海・宍道湖、島根半島の弓ヶ浜、遥かには伯耆富士と呼ばれる大山が見渡せます。平野ではないから外敵が来ても途中で防ぐ場所がある…などの理由でこの地に住んだようです。
ここを拠点に毎年8月に出雲中の物産市が開かれ、特に生活の必需品であったゴザを中心に夜通し賑わったという記録があります。(今でもその地名が市場)

余談ですが、スサノウ・クシイナダ姫の第5子である大歳(オオトシ)尊(=饒速日尊)が大和地方へ乗り込んで日本全土を最初に治めた際、現在の大神神社(おおみわじんじゃ)のある三輪の地に住み、後ろの山を三室山(三輪山)と名付けました。父の故郷を慕ってのことで、父と同じく大和中の物産交換市をつくって「海柘榴市(つば市)」としました。いかに父親を尊敬していたかが伺えます。

スサノウは隠岐の島を水若酢尊(ミズワカスのみこと)という人に支配させ、西出雲には支庁を置いて時々そちらに出張していたようです。
出雲地方ばかりでなく、九州平定後も特に筑前・筑後・豊前・豊後の地方では、1900年経った今でも八坂神社・祇園社・牛頭社、或いは熊野神社の名前でスサノウ尊を祀っている地域が多いです。九州統治は短期間であったのに住民にこれだけ慕われたところを見ても、よほど優れた名君であったようです。
家庭にあっても8人の子が全部イナダ姫の生んだ子で、皆優秀だったことから、子孫が大変栄えたという事で、弥栄神社(いやさかじんじゃ 島根県津和野町)という名で祀られ、スサノウ夫妻と8人の子を祀った社を八坂(阪)神社という名で全国に祀られています。

スサノウ尊とクシイナダ姫の没後、2人は現在の島根県松江市八雲町の熊野大社(出雲一の宮)
に祀られています。スサノウ夫妻の墓は当時の熊野山(おそらく現在の天宮山=天狗山)に元々あったと言われています。この山に登ると、大きな岩が山の頂上付近にあります。そこが本来のの墓ではなかろうか?と言われています。

スサノウ没後、国譲りがあり出雲の直系の子孫は追放され、九州から島根県松江市美保関に上陸してきた日向族に占領されます。西暦220年頃の事です。そこで出雲の統治を猿田彦という出雲出身者に任せます。この猿田彦は、現在の佐太神社(島根県松江市鹿島町)を中心に、当時部族長会議を招集して統治しました。出雲地方〜隠岐の島で186の部族長(神)が一堂に会するこの会議、その時期が「神在月」と呼び、この佐太神社以外の地域を「神無月」と呼んだのです。それが、後世では、出雲地方が「神在月」で、全国が「神無月」と呼ばれるようになりました。元々の神無は、もっと限局された地域だったのです。

この族長会議もかってのスサノウの手腕を猿田彦が相続したのでしょう。

このように、スサノウ尊は大変人望の厚い指導者だったようです。繰り返しになりますが、もし、西洋でイエス・キリストが当時の人々に受け入れられていたなら、もともと神の期待を受けて生まれたスサノウ尊は日本初代の王として、イエスの教えを基本に素晴らしい国を造ったことでしょう。
「不倫(九州統治に現地妻=卑弥呼を迎えた)」という一点の罪のため、日本の国はサタンの手のひらで踊るような殺戮の歴史になってしまいました。

以上です。この続きはまた・・・。    (参考出典:古代日本正史・原田常治著)

熊野大社 (2).JPG
熊野大社(スサノウ尊・クシナダ姫の墓)


須賀神社.JPG

スサノウ尊の居住地




posted by 城北通り動物病院松江 at 11:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする