2017年12月28日

大国主尊(オオクニヌシノミコト)の謎 〜出雲神学からの考察〜

寒さが厳しくなってまいりました。皆さまお元気でしょうか?
この時期の山陰は、名物のどんより雲で日中でも暗いです。昔はこの天気が嫌で嫌で、家を出以来40年余り故郷に還ることなど考えませんでした。
今になると、このどんより天気が味わい深く思えてきます。冬の厳しい時期が長いほど、忍耐力・我慢する心が養われます。そして、来るべき春の感動は、おそらく赤道直下に在住の方々より大きいな〜と思います。神様は、よくぞ日本に四季を下さったと思います。

さて、本論です。日本古代史の二大謎、歴史から故意に抹消された神武天皇の舅である「饒速尊(ニギハヤノミコト)=スサノウの3男」と「大国主尊(オオクニヌシノミコト)」を解明するのが、一番大変であったと原田氏(日本古代正史の著者)は書いています。
スサノウやその子供達には「おくり名」が様々についていますが、このオオクニヌシだけはありません。そして墓もわからない?死後500年も経ってから何故?当時の日本一の建造物であると言われた「出雲大社」を造って祀ったのか?等々・・・。

大国主は160年ごろに誕生したようです。島根県飯石郡三刀屋町で生まれたようだという事ですが、両親は不明。180年ごろ、スサノウの末子、須世理姫(スセリヒメ)と結婚。しかし、スサノウはこの婿を快く思っていなかった様です。(出雲大社の神賀詞から)
当時はモンゴル系の伝統で、末子相続の伝統。スサノウとしては、大国主を自分の後継者として評価できなかったようです。スセリヒメが大国主を好きになってしまったため仕方なく許可したが、義兄たちからはかなり苛められた様です。
大国主は通称大黒様と呼ばれています。大きな袋を肩にかけ・・・サンタクロースではなくて、外出時にいつも義兄たちの荷物持ちだったというのが正体。

しかしこの大国主、我々獣医業界では日本最初の獣医療を行った方として知られています。
ウサギが皮を剥がされて泣いていたのを、ガマの油を塗って治したという有名な話。
出雲大社に行くと、像の周りにたくさんのウサギ像があります。

医科、歯科、獣医学の祖といわれ、性格的には軍人や政治家向きでなく、学者肌の人だったようです。185年ごろ、スサノウが亡くなると、約30年位出雲と九州を統治して、55歳前後で亡くなったとのこと。
スサノウと同じように、九州に出征して、これまた同じようにスサノウと九州の現地妻であるアマテラスの間に出来た長女、多紀理姫(タギリヒメ)と一緒になり3男1女を産んでいます。
スサノウと大国主、どちらも「妾」をつくったため、「本妻の恨み」が日本の歴史に流れているのがわかります。(この事が日本歴史上最も大きな問題だと私は考えます。)

学者肌で温厚な性格だと思われる大国主が、何故?九州で現地妻を迎えたのか?
原田氏の推測では、スサノウの九州・日向の現地妻、アマテラスが大国主を大変気に入り、自分の長女である多紀理姫を結ばせたのではないか。また、出雲の本妻である須世理姫(スセリヒメ)が、偉大なスサノウの末娘で家督相続した女性だから、常に婿である大国主を「尻に敷く我儘娘」だったのではないか?だから、大国主も嫌気がさして九州の日向に出向く事が多かったようだという見解です。
大国主の最後の墓は、宮崎県西都市。日向系(南モンゴル族)の墓は皆、円形の古墳ですが、そこに一つだけ四角い古墳があります。これは亡き大国主を愛していた現地妻が、出雲系(北モンゴル系)の伝統を尊重しての事でしょう。これで、大国主の墓所が判明しました。

これは、現代の家族にも十分あてはまる教訓ですね。失礼ながら男性の立場から言わせて頂くと、結婚当時はきれいだった妻が、子供を産んで歳を重ねると、子供は母に付き、化粧もそこそこ、体型も無頓着、亭主元気で外が良くなる、こんなんだから、男どもは浮気に走り、外に子をつくって最後相続問題でメチャクチャ。地位や名誉ではなく、全て‘愛’の欠乏症が原因なのだと思います。更に、背後でそれをコントロールしているのが、神学に出てくる「サタン=ルシファーとその子分共の悪霊」なのですね。

夫(男)の自重は最も重要ですが、妻側としては、いつまでも夫に対しては時に母親、時に妻、時に娘のように‘美’を返す存在位置を守り続ける事こそが、素晴らしい家庭が出来る秘訣の様です。
皆様、頑張りましょう。一年間、ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
平成29年12月末

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出雲大社 (ネットから)

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出雲大社のウサギ像(ネットから)

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久々、仙台時代のカナンちゃん(ノルウエージャン 9kg 凛々しい)



posted by 城北通り動物病院松江 at 18:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

天照御大神(アマテラス オオミカミ)と日本国の位置

寒くなって参りました。風邪などひいておられませんか?
今年は例年より寒くなるのが遅かったのか?気温の変化が大きいのか?山々の紅葉がいつもより綺麗な気がします。

さて、古事記・日本書紀の「嘘」を暴き、本当の神観を日本人が備える事が、現在中国に侵略されつつある今後の日本国民が生き延びていく最重要課題だと思います。なぜなら、本当の「神観」を持てば、こんな力強い味方(真の神)がほかにいますか?
今までの日本人は、慣習的に何の疑問も持たず、近所の神社にお参りして真実の神と相対さないで、横向き〜後ろ向きに、祀られた神と向き合ってきました。しかも、自分の都合の良い時だけの神だのみ・・・。
真実の神は唯一神で、私たちとは「親子の関係」であると現代神学が位置付けています。

では本論に。古事記・日本書紀では、天照御大神はスサノウの姉という位置づけで登場します。
スサノウが暴れん坊で、アマテラスは岩戸にお隠れになる…という所から太陽神とも言われています。
全国の中で主だった神社(特にかつて国が管理していた旧官幣大社)を中心に調査した原田氏の「古代日本正史」には、はっきりとアマテラスの正体が書かれています。

天照大神は別名、大日霊女貴尊(オオヒミコ ムチノミコト)と称されます。伊勢皇大神宮に祀られています。全国の古い神社は皆この後の名で祀られています。
大は「大日本、大倭」などと同じく付け足したもの。貴尊は尊称。本名は日霊女(ヒミコ)だそうです。中国の魏志倭人伝には「卑弥呼」として登場します。(中国人は民族性なのか、何でも自分たちが1番で他民族を見下して表現するようで、「卑」という字もそこから来たようです。)

生まれたのは西暦153〜4年頃、スサノウより32年ぐらい後です。場所は現宮崎市の東端、阿波岐原(あわぎばる)町の近くで、当時の豪族だったイザナギ、イザナミの子として誕生します。大日霊女は20歳ごろから統率力もあり人々の人気を集めていたようです。
ところが西暦173年頃、突如として出雲からスサノウと第5子の大歳親子が九州に攻め入ります。九州各地の氏神様を調べると、その大半がスサノウを祀る「八坂神社」や「大歳神社」であることをみると、この親子侵略者でありながら、かなり人気があったようです。そして、九州を「各地の部族である点から一つの面」にまとめ上げました。

その親子が宮崎に入ってきたのが177〜8年頃、大日霊女が23〜4歳のころ。スサノウ親子は北満州系の騎馬民族でかなり強かったようです。(のちに大歳は「天照国照大神」となって、奈良県の三輪山に大物主神として大神(おおみわ)神社に祀られます。)
このスサノウに一目ぼれして、九州の現地妻になったのが大日霊女です。
つまり、スサノウには出雲にクシナダ姫という正妻がいながら、九州の日向にアマテラスという現地妻をめとったという事。アマテラスは、宗教的に言えば「妾」なのです。
やがて彼女はスサノウとの間に三人の女の子を授かります。

(日本書紀の編纂者たちは、姉弟の間に3女が生まれたとはさすがに抵抗があったのでしょう。古事記はスサノウまでは避けて、次の愛人と思われるアメノミナカヌシより記すと断っているが、日本書紀は3女(タギリ姫、タギツ姫、サヨリ姫)を登場させるために本当の事を書いたが、ウソというのはどこかで辻褄が合わなくなるというのが原田氏の見解です。)

数十年前、外国の神学者(東洋人)の方が講演で、「日本は女性の国ですね」という話を聞きました。確かに文明開化からイギリスの国政を学んだ為か、車はイギリスと同じ左側通行です。イギリスも日本も島国。イギリスはエリザベス女王の国、日本の始まりは大日霊女(卑弥呼)なので、なんとなく納得させられます。
そのあとに言われたことは、日本は「妾(めかけ)の国です。」という表現。言われた当時はとても頭に来ましたが、今となってはこの歴史の真実を知れば、しぶしぶ納得します。

大日霊女とその子孫が、スサノウとオオクニヌシの死後、出雲を逆に攻めて「国譲り」をさせます。そして、日本全土を手中に治めます。だから、日本は「妾の国」になったのですね。

スサノウの後を継いだのが出雲大社に祀られている「大国主命(オオクニヌシノミコト)」。この人物も不思議な人です。この続きは次回に・・。

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国宝「神魂(かもす)神社」ーアマテラスの父母、イザナギ・イザナミが祀られる

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神魂神社 入口

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八重垣神社にあるアマテラスとその子の壁画





posted by 城北通り動物病院松江 at 17:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

日本建国の祖「スサノウノミコト」という人物像  〜出雲神学からの考察〜

皆様、こんにちは。台風の通過ごとに朝夕冷え込む季節になりました。
昨今、高齢な仔で急な温度変化のストレスからなのか、亡くなっていくケースが増えてきています。1年経つごとに、犬で4歳、猫で5歳の年を取ります。元気だと思っても意外と隠れた病気を抱えていることもあります。物言えぬ動物たちには、飼い主様の気配りしかありません。

さて、今回は例によって原田氏の「古代日本正史」に出てくるスサノウノミコト(素佐之男尊)の素顔に迫ります。(出典:日本古代正史―原田常治著)
スサノウは西暦122年頃、現在の島根県出雲市平田町で生まれたようです。
(出雲市平田町の宇美神社には、スサノウの父フツが祀られています。全国の宇美神社は子を生むから来ているようです。)
古文書を探しても、スサノウは多くの戦をしたが、ただの一度も負けたことが無かった様です。勇猛で頭も優れ仁慈の名君と慕われていたようで、後に九州に遠征しますが八坂神社・祇園社・牛頭宮・熊野神社などの名前で九州各地に祀られているのを見ると、各地で尊敬され慕われていた人物像がわかります。
それまでの日本の国は、所々に原住民が住む「点」の集合だったものを、まとめて「面」にした最初の人物だったようです。
出雲、隠岐を186カ村に分けてそれぞれに村長を置き、自分は現在の雲南市大東町にある須賀という所を拠点に出雲中の物産交換市を行い、夜通し賑わったようです。(現在の大東市―須我神社:日本最初の和歌発祥の地)
後ろには八雲山(三室山または須我山ともいう)があり、戦略的にも良い場所で、八雲山※の頂上からは、晴れた日には眼下に中海、宍道湖、島根半島〜弓ヶ浜、出雲富士の大山を望める絶景地です。
スサノウとクシナダ夫婦には、5男3女の合計8人の子供がいました。子供たちはみな優秀だったようです。スサノウの子孫が栄えたという事で、島根県鹿足群津和野町には「弥栄(いやさか)神社」という名で親子全員が祀られています。8人の子達が皆栄えたという意味から、弥栄の名前が付き、そこから「八坂神社」が全国に出来ています。

(※参考:スサノウの第5子である饒速日尊(ニギハヤのミコト=フルノミタマ=大歳尊)が、将来大和地方に乗り込んで日本最初の国王になります。その時、現在の大神(おおみわ)神社のある三輪の地に住居を構え、後ろの山を三室山と名付けたのもスサノウを慕ってのことでしょう。そこで父と同じように、大和中の物産交換市を行っていました。)

スサノウが50歳を超えたころ、懸案の九州遠征に出発します。西暦173年頃、大歳(饒速日尊)が20歳を過ぎて海路で九州に攻めていきます。中国の梁書には「零帝の光和(西暦178〜183年)の時、倭国乱る」とあります。
出雲地方は雨天や冷害が多く、スサノウとしてはより気候の良い食糧生産地を求めて九州遠征に出たようです。モンゴルをルーツとしている出雲族の騎馬民族軍団は九州を瞬く間に平定します。

騎馬軍の先頭に立って九州の日向地方(現在の鹿児島〜宮崎地方)に入ってきたスサノウの姿に憧れた当時20代の女性がいました。その人物が、将来スサノウの「九州での現地妻」になる大日霊女(のちに日本史に出てくる卑弥呼または天照大神=アマテラス)でした。

日本書紀にはアマテラスはスサノウの姉と記していますが、年齢の誤差も甚だしい絵空事で、本当はスサノウの第2夫人になった人物です。スサノウより30歳も年下の女性が何故?姉になったのか?これが日本書紀で嘘をでっち上げなければならなかった重要ポイントの一つです。

次回はこの天照大神(アマテラスオオミカミ)問題に迫ります。

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スサノウの住居の地  須我神社(島根県雲南市大東町)


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日本和歌発祥の地 境内にある「八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくるその八重垣を」の碑


posted by 城北通り動物病院松江 at 10:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする