2017年07月30日

西洋神学と古事記  〜出雲神学からの考察 1 〜

暑中お見舞い申し上げます。
今年の夏は、例年より気温が高い様です。そのせいか、熱中症一歩手前の症状のワンチャンや猫ちゃんが頻繁に来院されています。皆さまもお気を付けください。

さて、今回からシーズン2に入ります。出雲神学の本髄であるスサノウノミコトやオオクニヌシについて、現代神学をベースに解析を行ってみようかと思います。
まず最初にお断りを。
日本では八百万の神々として、その筆頭がアマテラス大神、スサノウ尊、オオクニヌシ尊などが登場しますが、これから記入するうえでこれらの神々の名称が長すぎますので、敬称略で記します。
また、神々の問題を扱うと必ず天皇家のルーツに関わります。私は個人的には天皇陛下大好き人間で、しかも尊敬しているという立場での記述だという事を明記しておきます。

私事ですが、私は幼い頃から島根の山奥の「熊野大社」のふもとで生まれ過ごしてきましたので、神社のお祭りや自宅の神棚は‘あってあたりまえ’の世界でした。
しかし、学業を重ねるうちに「神」とは一体なんだろう?出雲神話に出てくるスサノウやオオクニヌシは一体どんな存在?と、疑問を抱くようになりました。

そもそも、日本の国自体や文化の出発点にはどうしても出雲地方が絡んできます。
幼い頃から、出雲風土記と古事記、日本書紀の‘神話’内容を叩きこまれてきた私達は、「ふ〜んそうなんだ」くらいにしか思いませんでした。しかし、視点を世界に向けて考えてみる時、日本の神々と西洋の神、どっちなんだ?どれが本物?という疑問がわいてきます。
神の定義は「唯一絶対、平和、愛、平等、」という様な位置づけ。なのに、何故神を巡って人々は戦争をするのか?・・・・こんな疑問は私だけ?

そこで、見えない世界を扱う神学ですが、ある程度科学的・客観的思考を取り入れて分析すると、面白い内容が見えてきました。表現は悪いのですが、長い間の便秘が治った様な感覚でしょうか?

すみません。前置きが長くなりました。本論です。
これからの内容は、原田常冶著「古代日本正史」という現在では絶版になった本が参考文献です。かなりシビアに日本の古代史を分析していて、私としては共感の多い本です。
その内容から〜。
1) 古事記・日本書紀は正確か?
古事記には神々が日本の国を産んだとか、国を引っ張ってきたとか、およそ現代科学では全く意味不明の内容です。比喩・象徴で書かれている聖書でもここまでのおとぎ話ではありません。そうなると、別の事実があったものの、それが知られるとまずい事があって古事記や日本書紀の著者がおとぎ話をでっち上げたとしか考えようがないという事です。隠ぺいの理由は天皇家のルーツに関わる問題だったからです。
前出の原田氏は、古事記・日本書紀は作者の意図が加わった作り話とハッキリ明記しています。
そして、出雲風土記と中国の魏志倭人伝、そして全国の著名な神社に残されている文献を明確に何度も歩いて調べ上げ、更に宮内庁・天皇家が守って来られている祭祀とその神社の関連を徹底的に調べたようです。その執念たるやすさまじく脱帽ものです。

結論として、古事記・日本書紀は100%実際の史実の内容ではない!という事です。

では、スサノウやオオクニヌシ、アマテラスとはいかなる存在か?この続きは次回に・・。

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スサノウとクシナダ姫の墓所  出雲一の宮 熊野大社

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2017年06月25日

人類にイエス・キリストは何故必要か?B 〜出雲神学からの考察L〜

暑くなってきました。皆さまお元気ですか?梅雨の季節は一年の内で動物たちの体調が最も厳しくなります。除湿、冷房などエアコンの徹底をお願いします。

さて、前回の続き、イエス・キリストの話です。今回で、西洋の神学解説「第一章」は一旦休止します。では、例の友人の弁からです。
友人:イエスが地上に送られた本来の目的は、堕落した人類始祖の悪魔(サタン)の血統を断ち切って、完全な善の血統を新しく出発させる為だったのです。
平たく言えば、無原罪(サタンと関係ない血統)のイエスは何としても新婦を迎えて結婚式をして、「真の神の家庭」を出発しなければならなかったのです。現代神学の最重要ポイントは、‘正しい結婚、正しい家庭づくり’なのです。(従来の神学では長い間、イエスは私達の罪を背負って十字架に架かる為に生まれて来たと解釈して来ました。これはとんでもない誤った理論です。)
私:昔も今も変わらずに、人生・仕事・事業・政治・国際事情等、全ての事象の基盤は「家庭」ですよね〜。

友人:そうです。イエスの本当の願いは十字架に架かって死ぬことではなく、神の家庭を持って子孫を沢山増やす事だったのです。しかし、最も信頼していた3人の弟子、ペテロ・ヤコブ・ヨハネが裏切ります。イエスの教えは前回話したように当時の社会では斬新すぎて異端視され、裁判にかけられました。その時、3人の弟子たちは保身に走り、イエスを知らないと言ったのですね。

結局、イエスは30歳から神の言を述べ伝え、33歳で十字架に架けられました。
最後の裁判を主催した役人は当時、強盗で死刑宣告を受けていたバラバという囚人とイエスの2人を引き出して、「私はこのイエスに罪があるとは思えない。皆が決断せよ。死刑にするのはバラバか、イエスか?」とユダヤの民に問います。ユダヤの人々は一斉にバラバを許せ。イエスを十字架に!と。(この後、もし私達(ユダヤ人)がこの判断を間違っていたらその罪は私達と子孫が背負う・・・と宣言します。そのため、第二次世界大戦でユダヤ人600万人の殺害が成されたのです。)

ゴルゴダという丘の上まで、イエスは自分が磔にされる十字架を背負わされ、市街地を歩かされ、ついに丘の上で十字架刑に処せられます。イエスの両側に2人の罪人が一緒に処刑にされました。左の強盗は間際でもイエスをののしりましたが、右の強盗はこの人は何の罪もない神の子だ、と証します。イエスはすべての弟子に裏切られ、最後にただ一人右の強盗と共に楽園に行くと告げて亡くなります。イエスの最後の祈りは、「神よ彼らを許したまえ。彼らは何をしているのか知らないのです。」という‘とりなし’の祈りをしました。これにより、イエスの肉体は殺害されて滅びましたが霊魂は楽園に行き、これ以降イエスを信じる者は霊的に救われる(霊魂救済)という今日のキリスト教の土台になりました。

私:本当に可哀相な生涯でしたね。普通、これだけ誤解され馬事雑言を浴びせられたらみんなを恨んで呪って死にますね。でも、許してとりなしたというのは、究極の博愛の精神なのですね。正に‘恩讐を愛する’という至高の愛ですね。このイエスの命を懸けた教えのお蔭で、今日の私達日本人の繁栄もあるのですね。

友人:そうです。終戦時、マッカーサーが日本に入ってきて、このキリスト教の精神を基礎に統治したお蔭で天皇家も守られ、日本は莫大な賠償金を払わなくてすんだし、何より焦土と化した日本に沢山の物資・食糧を運んできたのもアメリカでした。キリストの精神に基づいて統治したのですね。もし、これが当時のソ連に統治されたら、今の日本の姿は絶対にありませんでした。
終戦当時、ソ連は北方四島と北海道をくれ!と言いましたが、アメリカは断固はねのけました。また、被害をこうむった中国は当時、国民党の蒋介石が日本への賠償を請求しないと言ってくれたのも、日本の早期復興に繋がったのです。
蒋介石はキリスト教を学びアメリカのような国造りを目指したのですが、毛沢東の共産軍によって現在の台湾に追いやられてしまったのです。ですから、台湾は民主主義の国です。

イエスと一緒に処刑された右の強盗とは将来の民主主義世界を意味し、左の強盗は神を否定する共産主義世界を、イエスの代わりに釈放されたバラバがイスラームの世界を意味します。聖書とは将来への預言書であり、神が生きて今も尚人類を救済する為に働き続けているという証しの書なのです。

最後に、家庭を持てなかったイエスは「私は再び来る」と言い残しました。それが聖書の最後の黙示録です。日の出づる東の方に現れると予言しました。つまり東洋に再臨のキリストが誕生するという予言です。有名な内村鑑三は、「再臨のキリストが来る」という啓示を受けて山の頂上で祈りながら待ち続けたという話は有名です。
その再臨主の使命は?当然イエスの果たせなかった「神の家庭」を造り、我々人類に正しい家庭の在り方を教えて無原罪の家庭を増やす事です。現代はまさにその時を迎えているという大転換期なのです。

私:遠い中東の話が、実は私達の生活に直結した内容だったのですね。詳しい話をありがとうございました。
今迄現代神学を13回に亘って掲載しました。次回からはいよいよ出雲神学の本髄、「スサノウとアマテラスの正体」のシリーズに迫ります。   以上


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往診先で飼われているフクロウちゃん1

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同じく2
posted by 城北通り動物病院松江 at 17:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

人類にイエスは何故必要か? そのA  〜出雲神学からの考察〜

一年の内で最もすがすがしい季節になりました。沖縄は梅雨入りしたそうですが、ロンドンのように年中湿っぽく曇り空の多い出雲地方も、この時期だけは快晴が続きます。
新緑と青空、マイナスイオンたっぷりの空気。都会では味わえない自然の恵みですね。
人生、意外と短いですから、どうせ生きるなら皆さま、自然の中で、地方で生きましょう!!

今回も前回の続きです。神の独り子、イエス・キリストの生涯です。いつもの友人の弁からです。
友人:一番ポピュラーな口語訳の聖書(日本聖書協会出版)には、大きく分けて旧約聖書と新約聖書があります。旧約聖書はアダム・イブから、イエスの誕生前まで。新約聖書は、イエスの誕生以降が書かれています。皆さまも耳にされた事があるかと思いますが、旧約聖書のモーゼの時代は戒律と律法の教えでした。「目には目を、歯には歯を・・・」という教えで、もし罪を犯したら同じ価値で贖罪せよという教えでした。しかし、イエスの時代には、「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」という、‘愛と許し’の教えです。

人々の知能と心情が時代と共に発達してきたため、教えの内容が高次元になって来たのです。さて、イエスは馬小屋で誕生します。何故か?
母マリヤは天使のお告げで、「処女懐胎」という奇跡が起きて、夫がいないのに身ごもったというのです。従来神学ではこれがイエスを神の子とあがめる一つの理由になって来たのです。しかし、当時の人々はそんな事わかりません。風習では不倫で身ごもったものは石で打ち殺せという教えの社会です。マリヤは、自分の懐胎を隠して生活しましたから、当然、人々の祝福を受けてのお産などできません。ですから、馬小屋でひっそりと産んだのです。

私:医学的に処女懐胎は考えにくいですし、非現実的ですよね。現代神学がある程度科学的に解説するなら、この問題も解けるのではないですか?
友人:ハイ。男女の交わりがなくては、身ごもりません。だから、聖書をよく読むとイエスの父が誰か?はハッキリ書かれています。
それはともかく、出生の問題はその後のイエスの生涯路程に大きな影響を及ぼします。

当時の人々は、夫がわからない子供のイエスを当然の如く私生児扱いします。しかも馬小屋で出産。30歳まで、お父さんの大工仕事を手伝っていた学識もないみすぼらしい青年です。
ところが、30歳になったら、突然家を出て、神の教えを語りながら各地を転々とします。最初は、それまでの旧約聖書を信奉する当時の神学者や、律法学者(法律担当)などを相手に弁論会を開き、ことごとく論破して行きます。当時の学者たちも一目置く存在になります。
しかしイエスの弁は、冒頭に述べました様に、従来の旧約聖書の教え(戒律の教え)と違って、より高い次元の話(愛と許しの教え)になります。当時の学者たちは、自分達が主張してきた律法神学と違うので、ことごとく反発してしまいます。

私:今の世の中もそうですね。古い観念にとらわれて新しい事を受け容れられない。もし、自分の信念を覆せば、明日からオマンマの食い上げになりますからね〜。

友人:そうです。イエスは本当は、新しい時代が来たから学者たちが率先して新しい教えを受け容れて、多くの人々を導いて欲しいと願ったのです。しかし、やがてイエスの嘆きの一文が聖書に出てきます。

「(ルカ伝13章34〜35 日本聖書協会編 口語訳聖書)ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」と。
また、「(マタイ伝.8章20節 同聖書 )イエスはその人に言われた、きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と。

寂しい心を抱いて、家族にも理解されずエルサレムの市街地を離れて、漁村を歩きながら無学な漁師や取税人(当時世間から嫌われていた)、娼婦などを相手に、神の言を伝えなければならなくなったイエスの心中は、測り知れないものがあります。

私:現代では神の子として有名なイエスですが、当時の社会には受け入れられなかったのですね〜。いつの時代でも、価値観の違う新しい事が出ると、本音では正しいと思っていてもついていけない。変わろうとする勇気が無いのですね。・・・この続きは次回に。


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島根半島から日本海を望む


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美保関から大山を望む

posted by 城北通り動物病院松江 at 19:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする