2018年03月30日

元号改定の謎? 〜出雲の国譲りの真相〜後半〜

皆様、こんにちは。暖かくなってまいりました。同時に花粉症に悩む日々です。
いよいよ、「春の予防の季節」到来です。フイラリア、ノミ・マダニの予防はキッチリ行いましょう。

では、前回の続きです。
九州・日向の大日霊女(卑弥呼=アマテラス)は、日本国全土の掌握に乗り出します。手始めに出雲の国を手中に治めんと、出雲国の正当な相続者で、オオクニヌシの末子、武御名方(タケミナカタ)に対して、政権を譲るように使いを出しますが、武御名方は自分の方が正当な相続人ですから、納得しません。そこで、日向軍が出雲に乗り込んできます。

出雲の他の豪族たちも、スサノウの正当な相続人である武御名方とスセリ姫に、同情はしたものの、いかんせん、日向族の全軍が乗り込んできては、意気消沈せざるを得なかったようで、大きな戦にはならず、武御名方は残った軍勢を連れて船で北陸、石川県、能登半島の方に逃げます。能登半島の入り口に志雄町というところがあります。ここの志雄神社には武御名方が祀られ、今でも毎年10月の神無月には、全国の神様が出雲に集まるから他の地方は神無月と呼びますが、ここの志雄神社では「出雲に行かず留守番している」と記されています。

武御名方は手勢を集めて再起をはかり、出雲を奪還しようとしたようですが、勇猛な武甕槌(たけみかづち)と経津主(ふつぬし)が更に追いかけて行きます。
結局、逃亡生活を余儀なくされ、長野まで逃げ込んで、最後は諏訪で降参して、「二度と出雲には帰らない」という約束を結ばせられます。全国の諏訪神社にはこの出雲の正当な相続人である武御名方が祀られています。

日向の将軍、武甕槌は何故?武御名方を殺さなかったのか?
逃亡の身でありながらも、当時の出雲の先進文化の知識を持った武御名方は行く先々で住民から尊敬されています。ですから、逃亡ルートの神社には武御名方が祀られているのです。しかも、一応出雲の正当な相続人ですから、殺すより生かしておいた方が、全国の統治がしやすいと考えたのでしょう。丁度、終戦時、マッカーサーが天皇陛下をそのまま留めて、全国統治を考えたのに似ていますね。

武御名方に誓いを取り付け、出雲の地は「猿田彦」という人物に統治をまかせます。この人はもともと出雲出身で、九州統治に出向していて、大日霊女に気に入られていた様で、出雲を統治するのは地元出身が良いと判断したのでしょう。
現在の松江市佐太町にある佐太神社(かつてはオオクニヌシの墓陵、熊野大社を一の宮、この佐太神社を二宮と称した)に祀られています。
スサノウの政治を受け継いで、隠岐の島や出雲の168カ村の村長(当時は神と呼ぶ)を集めて、民主政治の会議をこの佐太神社の場所で行いました。それが10月だったので、この佐太神社だけは「神あり社」といい、隠岐や出雲は村長(神)がいないということで「神無月(かんなづき)」と呼んだようです。
それを日本中の神様にして、場所も出雲大社にすり替えたのは、400余年も経ってからのことです。
武御名方が諏訪に生涯居住したので、諏訪の町には今も神無月はありません。
以上が「出雲の国譲り」の真相です。

後日談ですが鎌倉幕府の時代に、武御名方の恨(生涯、出雲には還らないと言う盟約)を解く為に、直径の子孫で中沢備前守という人がスサノウの聖地、島根県の須賀地方の地頭を申し出て乗り込み、ここを諏訪村と改名させ須賀神社に武御名方を合祀したそうです。
しかし、明治時代になって、いくらなんでも・・・ということで、元の須賀村に戻したという記録があるようです。

「赤穂浪士」のような話で、日本人はどうも昔からこういう思想があったようです。
武御名方がいかに人気があったか。歴史はたいてい負けた方は評価が下がったり、消されたりしますが、この人物はとても人気があり全国に武の神、強い神として諏訪神社の名前で祀られています。その数、数千か所・・。

最後に、大日霊女(卑弥呼=アマテラス)は大和に自分の子孫(伊波礼彦尊=神武天皇)を送り込み、全国統一を果たします。今、三重県の伊勢神宮に祀られているのが天照大神(大日霊女尊)で、歴代の天皇が必ずお参りされます。
現在の天皇家は大元はスサノウから始まっていますが、この日向族の系統です。
ですから、出雲族は中央から冷遇され続けています。

これは私の見解ですが、明治以降で、島根県出身の総理が2人出ています。一人は「若槻礼次郎」、もう一人は「竹下登」。
面白い事に、この総理の時に、「元号」が変わっています。大正から昭和になる時、若槻首相、昭和から平成になる時竹下首相。何故でしょうか?
日向族の統治とはいえ、スサノウの正当な相続は出雲ですから、一応、「出雲地方出身の首相の時に、出雲の了解を取る」という理由ではないでしょうか?
来年の元号は、現在の天皇陛下が自主ご退位されますので、この‘偶然’はないかもしれませんが・・・。以上。

佐太神社.jpg 猿田彦の政庁跡 佐田神社


熊野大社 春.JPG  熊野大社 春

posted by 城北通り動物病院松江 at 20:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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