2018年01月24日

歴史から抹消されたもう一人の天照大神  〜出雲神学より〜

新たな年の初めにあたり、謹んで新春の祝賀を申し上げます。昨年は大変おせわになりました。本年も変わりませずよろしくお願いします。

日本の古代史の研究も佳境に入りつつあります。今月は「歴史から故意に抹消された
もう一人の天照大神」です。例によって出典は原田氏の「日本古代正史」です。
九州の日向でスサノウの現地妻になった大日霊女(卑弥呼)を、全国各地の神社では「天照大神=アマテラスオオミカミ」と呼んでいます。しかし、卑弥呼以前にもう一人「天照国照大神饒速日尊」(あまてらす くにてらす にぎはやひのみこと)という人物がいました。日本書紀の編集員が何とかしてこの人物を歴史から抹消しようと、一生懸命おとぎ話をつくったり、それまでの神社の古文書を書き換えさせたようです。しかし、嘘というのはどこかでつじつまが合わなくなるものだという原田氏の見解です。

古より歴代の天皇が参拝されたという大和地方の三大神社と言われる石上神社、大神神社、大和神社、そして熊野本宮(和歌山県)、賀茂別雷神社(京都)の5社を中心に徹底的に調査をして判明したようです。
例えば、奈良の大神(おおみわ)神社に大物主大神、大己貴(おおあなむち)大神、と別々に祀られています。しかし古事記・日本書紀には「大物主は大国主(=大己貴)の別名である」と記されている。大神神社にはこの2人が並んで祀られている以上、別々である事は明白。だから、古事記・日本書紀は故意に?嘘が書かれている・・・という分析です。
こういう矛盾点は全国の神社を調べると沢山出てきたとの事。

さて、この大物主とはだれか?全国いたるところの神社の記録を調べてもなかなか見つからなかった様ですが、なんと愛媛県の国津比古命神社や福岡の天照御祖神社などから結論として饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)である事が判明したのです。「饒速日」の文字を消すように全国の神社に命令が出た様ですが、消し漏れが数か所の神社で見つかったとの事。

結論は大物主は饒速日でした。この饒速日尊はスサノウの8人の子供の中の5番目(3男)。兄弟の中では一番優秀で文武両道に長けている人物で、幼い頃は布留御魂、大歳尊と呼ばれていました。この人物が、最初の天皇である「神武天皇」の義父にあたるのです。
20歳を過ぎた頃から、スサノウが重用して九州平定に連れて行きます。173年ごろから約6年間ほどで全九州を平定。183年ごろ父のスサノウから国の司の象徴として「十種の神宝・天璽瑞宝十種(あましるしみずのかんだから)」を授かって、いよいよ日本一の米どころ大和平野の平定に向かいます。
当時、大和を支配していたのが長髄彦(ながすねひこ)という豪族。饒速日尊は出雲から船で下関経由で32人のお供を連れて大和に入ります。
大和に入ると、現地の豪族であった長髄彦は自分の妹を饒速日に嫁がせて、自分は客分として従属します。九州でのスサノウ親子の強さが伝わっていた様で、平和裏のうちに饒速日が大和に君臨し、日本の最初の国王になります。
この長髄彦の妹が三炊屋姫(みかしぎひめ)といい、饒速日尊との間に2男1女の3人の子をもうけます。長男が宇摩志麻治(うましまちのみことー後日物部氏の先祖)、二男が天香山尊(あめのかやまのみこと、=高倉下尊)、そして3番目の長女が伊須気依姫(いすけよりひめ=御歳神)です。スサノウの伝統(モンゴル系の伝統)で、末子相続ですから、末子の伊須気依姫に養子として迎えられたのが、伊波礼彦尊(いわれひこのみこと)です。この人物こそ、天皇家の初代、神武天皇です。

伊波礼彦尊(いわれひこのみこと)はどこから?
現在全国に祀られている九州日向の天照大神=大日霊女(卑弥呼)とスサノウの間には3人の女子がいました。その後も大日霊女は子供を産んでいます。スサノウの死後に、熊野楠日尊(くまのくすひ=うがやふきあえず)という人が生まれますが、大日霊女が愛人との間に授かった末子です。この人に4人の男子が授かりますが、その末子がこの「伊波礼彦尊(いわれひこのみこと)」です。つまり大日霊女の孫に当たり、末子相続の伝統を守り抜いて繋がっているという事です。

日向の大日霊女の願いはどこまでも日本の統治にあったので、何とか大和に自分の血統を送るというその執念を感じますね。

◆ここで一つ原田氏の補足説明を。歴史の中の有名な王やリーダーはとにかく精力が盛んでそれは女性にも当てはまるとの事。西洋のエカテリーナU世は7人の愛人、マリヤ・テレサも16人の愛人を公表しています。日本での女傑は歌人・与謝野晶子氏。愛人関連ではありませんが、11人の子を産んで育てながら、一晩に百首の歌をほとんど徹夜でつくるという、このような精力絶倫の体質は数百万人に一人という事だそうで、大日霊女もその一人だったようです。日本にキリスト教や儒教が入って来たから、価値観が変化して愛人問題はご法度ですが、当時の社会ではそういう価値観が無く、当たり前の風習だったようです。

もう皆様おわかりかと思います。天皇家のルーツがどこまでも神話・おとぎ話から始まらない神聖なものでないといけない理由が。神武天皇の出自など、解明してはいけない時代だったのですね。

饒速日尊が明確になれば、自ずと神武天皇の出自がわかってしまう。それは天皇家をどこまでも神格化せねばならない歴代の為政者たちにとっては、都合の悪い内容だったのでしょうね。       以上
この続きは次回で・・・。


奈良大神神社.jpg
奈良 大神神社(おおみわ)  大物主=饒速日尊 が祀られている   (画像、ネットから)


福岡天照御祖神社.jpg

福岡 天照御祖神社(あまてらす みおやじんじゃ):饒速日尊が祀られている (画像 ネットから)




posted by 城北通り動物病院松江 at 19:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: