2018年02月26日

日本政府から今なお冷遇されている出雲の原因 〜出雲の国譲りの真相〜前半 

大雪の跡がまだ山間部に残るこの頃です。今年の冬は、皆さん雪かきで筋肉痛になった事でしょう。北陸地方の方々にはお見舞い申し上げます。

さて今回は出雲地方が「日本の政府から今なお冷遇され続けている理由、日本歴史の根底に滞る‘恨’」です。例によって出典は原田氏の日本古代史です。
現在島根県は、年間100万人を超える観光客が訪れる国際観光都市です。それなのに、何故?山陰新幹線が開通しないのか?山陰に住んでいる人たちは皆不満と疑問に思っています。もちろん、県知事、市長、島根選出の国会議員が力不足という事は否めません。しかし、日本の最初の国王(スサノウ)が誕生した出雲です。かつては「出雲王国」と評されていました。それなのに、今では過疎県で寂れっぱなし。年間5000人の人口減少県です。あの北陸ですら、新幹線は開通しています。

先日、某県議が「山陰新幹線を開通させる運動を今までもやってきたが、今年もっと本格的に・・・・、でも40年かかるでしょうー」などと、自分の非力さを擁護するような発言をしていました。

しかし、私は若いころから何故か?山陰は中央政府から疎んじられている。その根本原因はなんだろう?とずっと疑問に思ってきました。今回、この日本古代史の本を精読して、その原因が何となくわかりました。もちろん、地元の歴代リーダー(国会議員・県知事)の力不足もありますが、もっと根本的なものが底流を流れていて、結論は「武御名方富尊(タケミナカタ トミノミコト)の恨」が原因にあると私は考えます。
‘恨’という字はハンと読みます。同じような言葉で‘怨み’というのがありますが、後者は特定の対象者がいるのに対し、前者の‘恨’は目的を遂げられなかった悔しさ・・・と解釈します。

では本論です。スサノウと大国主(オオクニヌシ)で、約40年間統治した九州全土でしたが、大国主の最後は本妻である出雲のスセリ姫(スサノウの末子=相続人)の元でなく、九州日向地方の現地妻、タギリ姫(スサノウと大日霊女(アマテラス)の長女)の元で亡くなりました。
本妻である出雲のスセリ姫は大変苦々しく思っていた事でしょう。スセリ姫と大国主の末子が「武御名方富(タケミナカタトミノ)」です。前回出てきた饒速尊(ニギハヤのミコト=スサノウの第5子)と同様に文武両道に優れた人物だったようです。
武御名方としては、学者肌で九州の現地妻(妾)の元に入りびたりの父、大国主は決して尊敬に値する人物ではなかったでしょう。
大国主が九州で亡くなると、現地妻(タギリ姫)との間に生まれた末子、事代主(コトシロヌシ)が九州全土の相続人になるのですが、未だ幼い為、結局大国主の時と同様に、事代主の祖母にあたる大日霊女(卑弥呼=アマテラス、スサノウの現地妻)が仕切るようになります。

そして、出雲の統治までも日向族で固めたい大日霊女は、「自分の子孫が正当な相続者である」と主張して、出雲に何度か主権を渡すように使いを出します。しかし、文武に優れた武御名方は当然、妾の子孫に統治権を渡すなど承服できません。そこで、ついに日向族が大日霊女(アマテラス)の命令の元、幼い事代主を名代に立て、母のタギリ姫(=三穂津姫)を伴って出雲に軍隊を送り込みます。この日向軍隊を率いた3人の武将が、天児屋根(あめのこやね)、武甕槌(たけみかづち)、経津主(ふつぬし)です。時に西暦220〜221年ごろです。

島根県松江市の美保関に、美保神社というのがあります。この美保の由来は、日向族の幼い事代主と母のタギリ姫(=三穂津姫)が最初に出雲に上陸したところで、その三穂津姫の三穂にちなんで美保になったようです。美保神社にはこの三穂津姫が祀られています。
当時は松江市の大橋川を挟んで、北に日向族、南に出雲族が相対したようです。だから、現在でも大橋川の北の神社には所々に日向族が祀られていますし、北方モンゴル族の伝統である四角い古墳は、大橋川の南には多いが、北は少ないです。

さて、戦いの結末は?・・・・・・次回に。

美保関から大山を望む.jpg

美保関と中海

松江大橋川.jpg
松江市内 大橋川を境に向こうが北、手前が南 (ネットから引用)









posted by 城北通り動物病院松江 at 19:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする