2017年10月30日

日本建国の祖「スサノウノミコト」という人物像  〜出雲神学からの考察〜

皆様、こんにちは。台風の通過ごとに朝夕冷え込む季節になりました。
昨今、高齢な仔で急な温度変化のストレスからなのか、亡くなっていくケースが増えてきています。1年経つごとに、犬で4歳、猫で5歳の年を取ります。元気だと思っても意外と隠れた病気を抱えていることもあります。物言えぬ動物たちには、飼い主様の気配りしかありません。

さて、今回は例によって原田氏の「古代日本正史」に出てくるスサノウノミコト(素佐之男尊)の素顔に迫ります。(出典:日本古代正史―原田常治著)
スサノウは西暦122年頃、現在の島根県出雲市平田町で生まれたようです。
(出雲市平田町の宇美神社には、スサノウの父フツが祀られています。全国の宇美神社は子を生むから来ているようです。)
古文書を探しても、スサノウは多くの戦をしたが、ただの一度も負けたことが無かった様です。勇猛で頭も優れ仁慈の名君と慕われていたようで、後に九州に遠征しますが八坂神社・祇園社・牛頭宮・熊野神社などの名前で九州各地に祀られているのを見ると、各地で尊敬され慕われていた人物像がわかります。
それまでの日本の国は、所々に原住民が住む「点」の集合だったものを、まとめて「面」にした最初の人物だったようです。
出雲、隠岐を186カ村に分けてそれぞれに村長を置き、自分は現在の雲南市大東町にある須賀という所を拠点に出雲中の物産交換市を行い、夜通し賑わったようです。(現在の大東市―須我神社:日本最初の和歌発祥の地)
後ろには八雲山(三室山または須我山ともいう)があり、戦略的にも良い場所で、八雲山※の頂上からは、晴れた日には眼下に中海、宍道湖、島根半島〜弓ヶ浜、出雲富士の大山を望める絶景地です。
スサノウとクシナダ夫婦には、5男3女の合計8人の子供がいました。子供たちはみな優秀だったようです。スサノウの子孫が栄えたという事で、島根県鹿足群津和野町には「弥栄(いやさか)神社」という名で親子全員が祀られています。8人の子達が皆栄えたという意味から、弥栄の名前が付き、そこから「八坂神社」が全国に出来ています。

(※参考:スサノウの第5子である饒速日尊(ニギハヤのミコト=フルノミタマ=大歳尊)が、将来大和地方に乗り込んで日本最初の国王になります。その時、現在の大神(おおみわ)神社のある三輪の地に住居を構え、後ろの山を三室山と名付けたのもスサノウを慕ってのことでしょう。そこで父と同じように、大和中の物産交換市を行っていました。)

スサノウが50歳を超えたころ、懸案の九州遠征に出発します。西暦173年頃、大歳(饒速日尊)が20歳を過ぎて海路で九州に攻めていきます。中国の梁書には「零帝の光和(西暦178〜183年)の時、倭国乱る」とあります。
出雲地方は雨天や冷害が多く、スサノウとしてはより気候の良い食糧生産地を求めて九州遠征に出たようです。モンゴルをルーツとしている出雲族の騎馬民族軍団は九州を瞬く間に平定します。

騎馬軍の先頭に立って九州の日向地方(現在の鹿児島〜宮崎地方)に入ってきたスサノウの姿に憧れた当時20代の女性がいました。その人物が、将来スサノウの「九州での現地妻」になる大日霊女(のちに日本史に出てくる卑弥呼または天照大神=アマテラス)でした。

日本書紀にはアマテラスはスサノウの姉と記していますが、年齢の誤差も甚だしい絵空事で、本当はスサノウの第2夫人になった人物です。スサノウより30歳も年下の女性が何故?姉になったのか?これが日本書紀で嘘をでっち上げなければならなかった重要ポイントの一つです。

次回はこの天照大神(アマテラスオオミカミ)問題に迫ります。

須我神社.JPG
スサノウの住居の地  須我神社(島根県雲南市大東町)


須我神社の碑.JPG
日本和歌発祥の地 境内にある「八雲立つ出雲八重垣つまごみに 八重垣つくるその八重垣を」の碑


posted by 城北通り動物病院松江 at 10:46| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする