さて、今回は世界中の人達がほとんど名前を知っているという「イエス・キリスト」についてです。因みにキリストというのは、救い主という意味で役職名だそうです。
西洋の偉人で、東洋では関係ない様に思いますが、実は全世界のどんな人にも絶対必要な人物として、イエスは約2100年前に地上に現れたそうです。
紀元前・紀元後の基点はイエスの誕生に由来する事は皆さまも御存じでしょう。
では、いつもの友人の言からです。
友人:人類始祖が堕落したため、親なる神はこのアダムとイブの子孫を何とか救う為に、長い歴史をかけて神の独り子を準備しました。それがイエスです。神が人を創造するのに数億年を要したように、堕落した人類を神の元に導くのにもかなりの‘期間’が必要です。これを償い期間と言います。
イエス1人を地上に誕生させるには、サタンとの条件のやり取りが必要です。例えば人類が100の悪行を犯していたなら、神が選んだ特定の人物が100の善行を立てる事で精算します。これが、「罪業の精算原則」です。
私:以前もお話が出てきましたが、先祖が穴をあけたら、子孫が穴埋めするという理論ですね。その穴埋めが病気だったり、結婚の失敗だったり…という話ですね。
友人:そうです。ゼロに戻さねば、新しい出発はできません。イエスは「原罪のない人(サタンと一切関係ない人)」として、地上に誕生しました。地上に原罪のない人間を誕生させる事は容易ではありません。第一サタンがゆるさないからです。ですから皆さんも聞かれた事があると思いますが、アブラハムという人や、ノアの方舟、モーゼの出エジプトなど神が選んだ人たちが、生涯かけて必死に善の条件を積んできたのです。その結果、聖書暦で人間始祖の堕落から4000年かけてやっと神の独り子=イエスが地上に誕生したのです。
私:気の遠くなるような話ですね。その歴史が分厚い聖書に綿々と綴られていたのですね。
神というと、何か奇跡を起こして一気に新しい事をする・・というイメージですが、「罪業の精算原則」から考えると、確かに人間の都合の良い考えで神をとらえてはいけないですね。
友人:そうです。私達の先祖も善い事をした人もいれば、好き勝手に生きて‘業’を増やした先祖もいるのですね。それを、イエスをただ信じるだけで救われるというなら、こんな簡単な事はありません。日本の江戸時代、百姓一揆が起こった時、阿弥陀を唱えると極楽に行くという教えが広まりました。信じる事は大きな条件になりますが、生きてるうちに善行を施す事をしなければ、好き勝手をして死ぬ時に「南無・・・・」を唱えれば救われると言うのは、どう考えても不公平ですね。サタンはそんなに甘くはないです。
私:なるほど。で、そのやっと地上に誕生されたイエスを当時の人々は十字架にかけたのですね。この続きは次回に。
出雲一の宮 熊野大社の桜