2017年04月21日

人類にイエスは何故必要か?その1  〜出雲神学からの考察J〜

4月になり狂犬病予防や、フィラリア・ノミ・ダニ予防の季節に入りました。忙しくなりブログが遅くなりました。今年の島根は春冷えの日々です。サクラは咲いて散りましたが、朝夕の寒さが今も残っています。

さて、今回は世界中の人達がほとんど名前を知っているという「イエス・キリスト」についてです。因みにキリストというのは、救い主という意味で役職名だそうです。
西洋の偉人で、東洋では関係ない様に思いますが、実は全世界のどんな人にも絶対必要な人物として、イエスは約2100年前に地上に現れたそうです。
紀元前・紀元後の基点はイエスの誕生に由来する事は皆さまも御存じでしょう。
では、いつもの友人の言からです。

友人:人類始祖が堕落したため、親なる神はこのアダムとイブの子孫を何とか救う為に、長い歴史をかけて神の独り子を準備しました。それがイエスです。神が人を創造するのに数億年を要したように、堕落した人類を神の元に導くのにもかなりの‘期間’が必要です。これを償い期間と言います。
イエス1人を地上に誕生させるには、サタンとの条件のやり取りが必要です。例えば人類が100の悪行を犯していたなら、神が選んだ特定の人物が100の善行を立てる事で精算します。これが、「罪業の精算原則」です。

私:以前もお話が出てきましたが、先祖が穴をあけたら、子孫が穴埋めするという理論ですね。その穴埋めが病気だったり、結婚の失敗だったり…という話ですね。

友人:そうです。ゼロに戻さねば、新しい出発はできません。イエスは「原罪のない人(サタンと一切関係ない人)」として、地上に誕生しました。地上に原罪のない人間を誕生させる事は容易ではありません。第一サタンがゆるさないからです。ですから皆さんも聞かれた事があると思いますが、アブラハムという人や、ノアの方舟、モーゼの出エジプトなど神が選んだ人たちが、生涯かけて必死に善の条件を積んできたのです。その結果、聖書暦で人間始祖の堕落から4000年かけてやっと神の独り子=イエスが地上に誕生したのです。

私:気の遠くなるような話ですね。その歴史が分厚い聖書に綿々と綴られていたのですね。
神というと、何か奇跡を起こして一気に新しい事をする・・というイメージですが、「罪業の精算原則」から考えると、確かに人間の都合の良い考えで神をとらえてはいけないですね。
友人:そうです。私達の先祖も善い事をした人もいれば、好き勝手に生きて‘業’を増やした先祖もいるのですね。それを、イエスをただ信じるだけで救われるというなら、こんな簡単な事はありません。日本の江戸時代、百姓一揆が起こった時、阿弥陀を唱えると極楽に行くという教えが広まりました。信じる事は大きな条件になりますが、生きてるうちに善行を施す事をしなければ、好き勝手をして死ぬ時に「南無・・・・」を唱えれば救われると言うのは、どう考えても不公平ですね。サタンはそんなに甘くはないです。

私:なるほど。で、そのやっと地上に誕生されたイエスを当時の人々は十字架にかけたのですね。この続きは次回に。


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出雲一の宮 熊野大社の桜
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2017年03月11日

家庭の重要性   〜出雲神学からの考察I〜

皆様こんにちは。桃の花が膨らんで、春めいて参りました。お元気でしょうか?
今回は「家庭」というものがいかに重要か?ということを掘り下げます。

前回までの現代神学のポイントを整理してみましょう。
1. 神はわが子として人を創造されたということ。したがって神と人間の関係は愛を動機とした親子の関係であること。
2. しかし人類始祖は、成人になる前の自己責任が試される重要な「成長期間」に、神の戒めを破って姦淫の罪を犯してしまったということ。本来神が共に住もうと何億年もかけて創造されたエデンの楽園から追い出されて、神も干渉できない立場に人々は堕ちてしまったこと。
3. 神が人類始祖の堕落に干渉できなかったのは、神のすべての能力である創造性・自主性・主体性を人類に付与するために、神自身も干渉できない期間(成長期間)を設けて、その期間は人間自身の考えのみで行動するように決められた為であること。
4. 人類最初の女性であるエバを天使長ルシファーが奪ってしまい、その血統を汚したため、この世の人類はサタン(ルシファー)の子孫となって知らず知らずに破滅の道を歩んでいること。
5. しかし、神は親であるがゆえに決して救いをあきらめず、神の一人子であるイエス・キリストを使わされ、サタンと関係のない無原罪の家庭を作って新しい出発をされようとしたこと。
6. しかし、サタンはそのことを死にもの狂いで阻止するため、イエスを十字架につけて殺してしまったということ。
7. 神はなおもあきらめず、必死に人類を神の元に導くために、聖書を歴史に残し黙示録に再臨のキリストを地上に送ると予言されたこと。
以上が今までの話しをまとめた内容だったように思います。
では、神が望まれる家庭とはどのようなものなんでしょうか?例によって友人の弁です。

友人:家庭が如何に重要でしょうか?それは愛が動機となって出発したものだからです。
たとえば、ある人は「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は人同士が自分の権益を得るところです。そして宗教も神様を見出すありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。それで神様を見出すことはできますが、愛は見出せません。本当の愛は家庭で探さなければならないのです。

私:なるほど。そういわれればそうですね。
友人:いくら会社に出て行ってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭の無い人は不幸な人です。またいくら政治の分野に進出して大統領になったり国会議員になったりしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭が無くなるときには不幸な人です。有名な宗教指導者になり、その教団の信者から愛を受けると言っても、その愛だけではダメです。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。

いくら世界万民のために働いたとしても、自分の家庭を幸せにできなければ、不幸な人です。愛の理想は家庭から実現せねばなりません。家庭は幸福の巣です。天国は家庭から始まるのです。だから、家庭の出発である「正しい結婚」をしなければなりません。
何が正しいかは神とつながっている良心に聞けばわかります。良心の呵責を感じることは自分を不幸の谷間に追い込むことになります。

母親がわが子を抱いています。ある人が来て、かわいいお子さんですね〜。お母さんより千倍もかわいいと言います。それを聞いた母親は嬉しくなるでしょう。しかしよく考えると、この子より母である自分は千倍醜いということです。しかし、「なんですって、私が千倍醜いですって!」・・・・そんな事を叫ぶ母はいません。
これが無条件の愛の姿なのです。

私:子供を持った母はみなそうですね。よくわかります。だから家庭の愛が最も尊いのですね。
・・・この続きは次回に・・・。

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posted by 城北通り動物病院松江 at 19:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月04日

神の愛、本当の愛とは?〜出雲神学からの考察H〜

寒中お見舞い申し上げます。巷ではインフルエンザが猛威を振るっていますが、皆さまは大丈夫でしょうか?
先月後半、私もインフルエンザにかかってしまい、開業して初めて、緊急休診を4日間余儀なくされました。飼い主の皆さまに多大なるご迷惑をおかけしました事をお詫び申し上げます。なんとか体調も戻ってきた状態です。

さて、今回は知識より、お金より、名誉より、命より、何よりも大切と言われる「真実の愛とは?」という内容です。例によって友人の弁からです。

友人:世の中には愛という言葉が氾濫しています。親子の愛、男女の愛、友人との愛、同性の愛、人と動物との愛・・・など様々ですね。一体、本当の愛(=絶対愛)ってあるのでしょうか?
この世を創造された神の創造の動機を考えてみる時、聖書の冒頭、創世記には、人を作った時「はなはだ良かった」と感動の表現があります。
「自分の形に人を創造した」と書かれています。見えない無形の神が一人ぼっちだと幸福など感じる事はありません。必ず何らかの対象がいて、その姿に自分の姿を映すから幸せなのです。
私:ふ〜む。まさに親が我が子を見る感覚ですね。

友人:そうです。しかし、現代の堕落世界(天使長ルシファー=サタンが全てを支配している)では、親子の愛といっても十人十色です。我が子を溺愛しすぎて子離れできない人やら、子が邪魔で捨てる人など様々。神の持つ親の愛=‘本当の愛’とは、為に生きる愛なのです。
自分の命を犠牲にしてでも、我が子を守ろうとする愛ですし、与えた事を忘れてしまう愛なのですね。普通、親が子を育てて成人になったら、学費と食費が今までこのくらいかかったから、利子付けて返せと言いますか?そういう親御さんはあまりいないと思います。

神の愛の極致は、「恩讐までも愛する」という境地です。それを歴史が証明しています。
今迄お話した中の「堕落の経過」にありました様に、数億年という歳月でやっと誕生させた自分の大事な人類始祖アダムとイブ。その中の一人娘(イブ)を、世話していた使用人(天使長ルシファー)が勝手に奪って、そして一人息子の位置まで奪ってしまった、正に神にとっては恩讐の中の恩讐のサタンです。

以来、人は堕落して、善と悪の両方の心を持ってしまったから、絶対善だけの神は直接手を施せません。しかし親元を離れてしまったとはいえ、善の心が残っている人類始祖とその子孫たちをそのままにはできないので、「救いの計画」を神は立てられるのです。それが、人々を正しい位置に戻すために、その教育者として地上に送ったのが、救い主イエス・キリストだったのですね。

私:イエス・キリストって、あのクリスマスの主人公ですね。世界中のキリスト教徒の信仰の的ですね。

友人:そうです。神の独り子、原罪のない人として今から約2000年前に生まれました。東のかなたから3人の博士が啓示を受けて、お祝いに駆け付けたという奇跡の人です。
しかし、現実は大工の息子として生まれていて、結局人々を必死に神の元へつなげようと生涯を捧げましたが、当時の人々はイエスの本心がわからず、十字架につけて殺してしまったのです。その後、弟子たちが悔い改めて命がけで教えを述べ伝えたので、現在のように世界中にキリスト教が広がったのですね。

私:では、神の救いの計画は成就したのですか?
友人:いえいえ、めっそうもない。イエスの本来の目的は、堕落したアダムとエバの代わりに、堕落しない人物として、純粋な女性を探して結婚し、「無原罪の家庭」をつくり、子孫を繁栄させねばならない使命があったのです。しかし、残念な事に独身で、わずか33歳の若さで殺されたのです。
しかし、イエスは精神的には勝利しました。ですから、イエスを信じるものは生涯の行いが正しければ、霊界に行ったらイエスの元まで行けるという事、つまり楽園までは行きつけるという事です。天国には入れません。なぜなら、神の創造の原則が、天国とは「無原罪の人が家庭を築いて入る場所」と定めたからです。
肉体的にはイエスは失敗です。家庭が作れなかったからですね。

私:では?私達人類はもう神の元へ帰れない、救われないという事ですか?
友人:違います。神は簡単に救いの計画をあきらめません。それが、本当の愛だからです。だから、聖書の66巻の最後に、「黙示録」というのが出てくるのです。黙示録とは、将来の神の計画書なのです。それによると、イエスから2000年後に再臨のイエス(救い主)を遣わすと書かれています。歴史の失敗から人類が真摯に学べば、再臨のキリストが現れた時、その人に人々がしっかり繋がれば、救われるはずなのですね。現代のキリスト教神学の結論は、この再臨主を迎える事なのです。

私:では、まだ希望はあるのですね。本当の愛とは、諦めない、忘れない、命がけで為に生き切る、恩讐までも愛する、という事ですね。言葉では簡単でも実践は難しい・・・。

この続きは次回に・・・・。

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実家のミミちゃん  大きな顔

posted by 城北通り動物病院松江 at 19:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする