2019年01月12日

歴史に見る神の人類救済計画 〜イエス・キリストの生涯B〜西洋神学史観

1年が過ぎるのがあっという間で、もう新しい年を迎えました。皆様、新年の抱負を抱かれて出発されたことと思います。平和で健康な1年でありますようお祈りします。

さて、本題です。イエス・キリストの生涯そのBです。前回までは神の子であるイエスをユダヤ全土に紹介して、自らがイエスの第一弟子となって活躍せねばならなかった洗礼ヨハネが、残念ながら裏切ってしまい最後は牢獄死を遂げます。イエスの落胆は想像もつかないものになったというところまででした。では例によって友人から語っていただきます。

友人:結局、人々の心の準備を整えたところに神の子(イエス)を迎えて地上に天国をつくるのが神の救済計画でしたが、一番要の人物(=洗礼ヨハネ)がサタンに奪われました。その為、イエスは自らが「洗礼ヨハネ=証し人」になって1から出発しなおします。
最初は、ユダヤ教の神学者・法学者を相手に話をしていましたが、ヨハネの否定により当時の偉い人々は完全にイエスを否定し排除しようとします。
仕方なく、イエスは当時の下層階級の無学な人々、漁師や取税人、娼婦といった社会的地位の低い人々の所を歩き回ります。その様な人々に難しい神学を語ってもわかりません。だから、神の権威を見せるため奇跡を起こします。死人が生き返り、盲目の人の目が見える、足が立たない人が立つようになる…など。
そのうわさがユダヤ全土に広まります。しかし、イエスを否定する神学者たちは、自分たちの地位が危うくなりますから、「あいつは悪魔の頭だ!」といって否定し続けます。

いつまでも奇跡ばかり起こしてもいられません。なんとか国家に影響を及ぼさねば、天国はできません。焦る思いでイエスは最後の神への談判祈祷を行います。この時、弟子の中で3弟子(ペテロ・ヤコブ・ヨハネ)を選び、一緒に山に登り「寝ないで祈っておきなさい。私はあちらで祈るから」と言って、必死に神にすがって祈ります。
しばらくして弟子の所に行ってみると、彼らは全員眠っています。もう一度彼らを起こして、再度祈りますが、また帰ってみると、弟子は寝ています。仕方なくイエスは一人で最後の祈りを捧げ、十字架にかかる決意をします。弟子は何のことかわかりません。
結局、イエスを支える3人がとても重要な位置にいました。例として、テーブル板を支えるのに脚が1〜2本では不安定、最低3本でやっと安定します。3人の弟子がイエスと心を一つに祈っていれば、イエスは死ななくてよかったのです。

やがて、イエスを信じる人々の集団の会計をやっていた「ユダ」という人物が役人にイエスを銀貨40枚で売り渡します。イエスは捉えられて牢獄へ。
奇跡を起こせるのですから、役人など払いのける事は造作もないはず。しかし、イエスはもう「死ぬ決意」を固めました。そして、十字架の道へと進んでいきます。

従来の神学では、「イエスは本来死ぬために地上に誕生した。だから、私たちの罪を背負ってくれて亡くなられたから、私たちはイエスを信じれば救われる・・・」という考えでした。しかし、聖書を総合的に解釈する現代神学ではイエスは死ぬために来たのではなく、洗礼ヨハネの妹と結婚して、「神の家庭=無原罪の家庭」をつくり、その子孫も当然サタンと関係ない無原罪の血統をひく・・・そういう氏族、民族をつくらねばならなかったのです。
しかし、必死に神の声を伝えようと、30歳からわずか3年間、一生懸命伝道したのに、最後の3弟子さえもイエスの深い心中がわからずじまい。
結果、自分の肉体はサタンにやるが、魂(=霊人体)は神の元へつなげるという「半分救済の道」を選びます。ですから、以後イエスを信じれば肉体の救済はできなくても魂は救われるという、「半分救済の道(魂だけの救い)」が開かれたのですが、これはイエスの本意では決してないという事です。(魂も肉体も両方救わねばならないのがイエスの本意)
したがって最後にイエスは、黙示録にありますが、「私はまた来る」という再臨預言の言葉を残しています。

従来神学のように、「イエスは死ぬために来た」のだったら、オギャーと生まれてすぐに亡くなったら良いではないでしょうか?一日も早く人類を救うのだったら・・。
結局、アブラハム〜ヤコブ時代から、4000年間かけて準備してやっとの思いで地上に無原罪で誕生させた唯一の神の子を、人類は不信して十字架に追いやるという愚行を犯してしまったと解釈する方が、イエスの言動・行動を総合的に見て、また当時の社会情勢からも、妥当と言えます。「十字架は神の意志ではなかった!」のです。
この続きはまた・・・。

きれいな音楽と映画のワンシーンでちょうどこの場面が出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=sza4rh1YzsM


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イエス最後の祈り と 3弟子の眠り   (ネットから)


posted by 城北通り動物病院松江 at 09:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月04日

新年のご挨拶

皆様、新年あけましておめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりありがとうございました。
本年も頑張りますのでよろしくお願いします。

年末年始は相変わらず急患対応に追われました。
ペット業界も高齢化と言われていますが、年末・年始に冷え込む環境の中での生活はワンちゃんや猫ちゃんにとって厳しいものがあります。

高齢化社会への提言として、1)8歳〜10歳を過ぎたら一度は健康診断を。2)高齢になったら外飼いからせめてガレージとか、玄関など室内に環境を移動してあげましょう。

本年も、ご家族様、動物たちが健康で心豊かな日々が過ごせますようにお祈りいたします。よろしくお願いします。

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毎年恒例、顧問制作の手作り門松・・・・買ったら高いですよね〜、材料は全部実家のうら
posted by 城北通り動物病院松江 at 09:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月09日

歴史に見る神の人類救済計画 〜イエス・キリストの生涯A〜西洋神学史観

あっという間に今年も最後の月になりました。師走のあわただしい中、どうぞ事故にあったり病気になられません様ご注意ください。

ブログ記事が大変遅くなりました。11月はいろいろ慌ただしく、なかなか時間が取れませんでした。
もうすぐ子供たち待望のクリスマス。イエス・キリストの生誕をお祝いする日です。しかし昨今のもっとも新しい神学の知見では、イエスの生誕日は実は1月初めとの事です。
では前回に続き、例によって友人の弁でイエス・キリストの生涯を見てみましょう。

友人:イエス・キリストが誕生する前までの時代は、モーゼの十戒を基礎にした教え=旧約聖書でした。この聖書の終盤の預言書と言われる所に、「将来、救世主を遣わす」というものがあります。その救世主とはイエスの事ですが、実は救世主が現われる前に、預言者エリヤという人物が現われる・・ともあります。
特別預言者エリヤとは、イエス生誕より前、紀元前9世紀に活躍して突然昇天した有名な預言者です。ですから、人々は、まだ見たことのない救世主よりも歴史上の実在の人物だったエリヤを先に待ち遠しく思っていました。

イエスのいとこにあたる人物で、祭司長(教会の祭祀をつかさどる仕事)という名門の家系に生まれた「洗礼ヨハネ」という人物がいます。彼は大変な修行を積んで当時の人々から、彼こそ来たるべき救世主か?とまで噂され尊敬を集めた人物でした。
そのヨハネが人々に説いていたのは、「私は水で洗礼(清めの儀式)を授けるが、私の後に來る方はみ言葉でもって洗礼を授けてくださる」と語り、「自分は来たるべき方(主)の道を整えるもの」と表現しています。
つまり、紀元前9世紀に昇天したエリヤの使命を持って生まれたのが実に、この洗礼ヨハネだったのですね。

ところがその後で、貧しい家系に生まれた名もない大工の息子であるイエスが30歳になってから突然「自分は救世主・メシヤである」と宣言して伝道を開始します。
最初、洗礼ヨハネはイエスと会って洗礼を施すと、聖霊が天からイエスの頭上に降り注ぐという奇跡を見ました。そこで、「来たるべき方は彼である」とイエスを証ししました。

しかし、人の性の悲しきかな。今まで自分の所に集まってきた人々がイエスの元に集まるようになると、ヨハネは寂しい思いに駆られてきます。本当は、イエスの第一弟子として、生涯イエスに従わなければならなかったのに、自分で独自の道を歩んでしまいます。
そうすると、当時のユダヤ教の教師や祭司長たちは、どう思うでしょうか?
立派な家系に生まれた知識豊富なヨハネと、名もない大工の息子・・・・どちらが立派に見えたでしょうか?

本来、エリヤの使命を担う洗礼ヨハネが人々にしっかりイエスの価値を教え、当時のユダヤ教を一つにまとめてイエスを神の子として全員が信じていたなら、イエスの新しい教えは、ユダヤの地を治めていたローマ帝国に伝播され、シルクロードを通ってアジアにも広がり、世界が神の愛で満たされた「一つの神の国」になっていたはずでした。

つまり、人類始祖アダムの堕落以後、幾多の信仰の中心人物を立てて4000年ぶりにやっとの思いで誕生させたイエス・キリスト。イエスの教えが即、全世界に伝わるようにするため神は、ローマ帝国を準備し環境を整え、更には、イエスの現われる約400年前ころから、東洋には仏教や儒教、西洋では哲学者ソクラテスらを遣わし、人々の心を耕し、信仰の準備を整えていたのですね。

イエスと洗礼ヨハネが一つになってさえいれば、世界は一つになり、神の王国になっていました。この洗礼ヨハネ1人の失敗により、イエスは自分で自分を証する立場、つまり洗礼ヨハネと救世主の2役を担って苦労しなければならなくなりました。

イエスの言葉に次のものがあります。「女の産んだ者の中で、バプテスマ(洗礼)のヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。(マタイ伝11章11節)」と。
この言葉の中に、どれだけイエスがヨハネに期待したか、しかし裏切られた悔しさがにじみ出ています。

続きは次回に・・・。
下記画像=イエスに洗礼を授けるヨハネ   (ネットより引用)


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