2019年03月15日

イエス以後のキリスト教史と歴史のスパイラル  〜西洋神学史観〜

皆様、こんにちは。今年の山陰地方は暖かく、木々の花・草花たちが混乱しているのではないでしょうか?3月2日から、新年度の狂犬病予防注射がスタート。忙しくなります。

さて、前回まで4回にわたって「イエス・キリストの生涯」を友人に簡単に述べてもらいました。今回はいよいよキリスト教史と歴史のスパイラルを、引き続き友人に述べてもらいます。

友人:イエスが十字架で亡くなったあと、人々に憑りついていた悪霊やサタンが一旦離れます。すると、群衆は我に返って「真にあの方は神の子だった」と言いますがもう手遅れ。人間という生き物は、何か失敗すると必死に言い訳したり、隠したり、責任転嫁を始めます。近代までのキリスト教がそうで、「イエスは私たち全人類の罪を背負って、十字架に架かって下さったのだ。だから、イエスを信じさえすれば天国に行けるんだ」と極めて都合の良い解釈で逃げてきました。
しかし、よくよく考えてみてください。真面目に良心に従ってイエスを信じて生涯を終えた方と、死ぬ直前まで好き勝手放題に生きて死ぬ寸前にイエスを信じた人、どちらも天国に入るならこんな不公平は無いでしょう?江戸時代の浄土宗の教えも似ています。念仏さえ唱えれば極楽浄土に行ける・・・と。

はっきり申しますが‘天国’とはサタンと関係ない血統(無原罪の血統)を受け継いだ人の家庭しか入れません。神の創造の目的と法則がそうなっているからです。
残念ながらイエスは独身で亡くなりました。だから、天国に入るための待合所と言われている‘楽園’止まりです。当然、私たちの先祖もそうですが、誰一人‘天国’に入った人はいないのです。勿論、神の子である無原罪のイエスが楽園止まりですから、他の歴史上の四大聖人と言われる釈迦・孔子・ソクラテス等の方たちも其々の霊界には居るようですが、神様の元の天国には入れていなくて、不自由だそうです。

結局、当時のイエスの12人の弟子と70人の門徒は先生を十字架に架けたという良心の呵責を痛切に感じて、その後イエスの教えを伝えるために、「全ての道はローマに通じる」とまで言われた一大帝国のローマへ伝道に出掛けます。そこで凄まじい迫害を受けます。歴史で有名な皇帝ネロの時代、キリスト教徒は次々と捉えられ、ローマ市民の娯楽のために、円形競技場でライオンに食わせたり火あぶりにしたりという迫害を受けました。

それが数百年続きますが313年コンスタンチヌス大帝のときにローマ帝国がキリスト教を公認するという奇跡が起こります。そして、392年、あれだけ迫害を受けていたキリスト教はローマの国教になります。
聖アウグスチヌスがイエスの生涯と教えをまとめて新約聖書をつくります。(それまではモーゼの十戒に基づく教え=旧約聖書でそれを信じる人たちがユダヤ教徒と呼ばれています)

イエスから約400年で国教にまでになったキリスト教。このイエスの教えが全世界に伝播されるようになります。
ところで、キリスト教は現代文化のベースになっています。何故でしょうか?神が人類を救うために、全世界にイエスの教えが広まるように手配(摂理)したからです。もし、日本文化が世界に広がっていたら、今もほとんどの人は着物を着ていますね。イエス誕生の約400年前、仏陀が現われてその後仏教が広まりましたが、全世界の文化には至っていません。
つまり、宗教には「神が直接関与される中心宗教」と「周辺宗教」があるという事。宗教は「大基の教え」という意味で皆同じですが、民族や歴史、風習によって異なるだけです。

さて、有名な歴史学者のトインビーは彼の「トインビー史観」で、「なぜか?歴史は繰り返されている」と指摘しました。実はこのことが大きな問題なのですね。

これまででお話ししましたが、旧約聖書に出てくるアブラハムの家庭がイサク・ヤコブの3代で神の人類を救うという願いの第一段階を勝利しました。そしてその家庭レベルでのアブラハムから、神側の民族を作ったモーゼの出現まで約400年間です。
イエスの出現から、キリスト教がローマという国の国教になるまでやはり400年です。
つまり家庭的な勝利から、民族的な勝利、そして国家的な勝利へと神の人類救済が、ほぼ同じ年数ごとに広がってきているという事です。
これ以降の歴史を調べると、実に不思議な‘スパイラル’が繰り返されてきているのです。
これ以降は次回で・・・・。

以上

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ローマ帝国の迫害を受けるキリスト教徒 (ネット画像から)



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2019年02月15日

歴史に見る神の人類救済計画 〜イエス・キリストの生涯C〜西洋神学史観

皆様、こんにちは。北日本は寒波が厳しい様ですが、今年の山陰地方は本当に雪が少ない年です。2月に入っても桃や梅の花まで咲いているこの頃。積雪が少ないと雨量が心配で、稲作に影響が出ますね。

では、本論です。イエス・キリストの生涯の最終稿です。例によって友人の弁です。
友人:前回までは、イエスが愛し尽くしたはずの3弟子が裏切り、会計係だったユダがイエスを銀貨40枚で売り飛ばしました。
有名な「最後の晩餐」という絵画をご覧になった方も多いかと思います。12人の弟子たちと最後の食事の席でイエスは「この中に私を裏切るものがいる」と言います。皆は誰だ?とざわめきます。イエスは「その人は生まれてこない方が良かった・・・」と表現しました。それが会計係のユダなのです。

旧約聖書を研究してきた当時の神学者ならイエスの教えや例えが良く理解できたと思いますが、いかんせん無学な漁師や取税人出身の弟子たちでは、奇跡を起こしたイエスをどのように捉え、理解していたでしょうか?ローマ帝国の属国民として虐げられていた人々にとって、イエスは自分たちをローマから解放してくれて、豊かな暮らしを提供してくれる‘解放者’という捉え方しかしていなかったようです。

本来のイエスの目的は、無原罪の(サタンと関係ない血統の)家庭をつくるために来られたのに、価値観が全く合わなかったのですね。だから、神の仕事を決意して僅か3年で十字架の道を選ばざるを得なかったのです。
やがて最後の裁判が行われます。当時の統治者だったピラトという裁判長は、集まった群衆にこう尋ねます。「私はこのイエスに罪があるとは思えない。今日はローマ皇帝の特別恩赦の日である。ここに強盗を犯したバラバという者がいる。イエスかバラバか、どちらか一人を恩赦で許すのだが、どちらにするか?」と。
すると、サタン(悪霊)が入った群衆は一斉に「バラバを許せ!イエスを十字架に!」と叫びます。そこでピラトは「もしイエスを十字架にかけて、それが間違っていたら誰が責任をとるのか?」と聞きます。すると群衆は「もし間違っていたら私たちと私たちの子孫が償いを負う!」と言います。これで決定しました。
イエスは裸にされ、鞭うたれて十字架を担いでゴルゴタという丘に行きます。そこで、両手両足に太い釘を打たれて、高い十字架に磔になります。
この時、イエスの両側に2人の強盗が一緒に磔になりました。左の強盗は「お前が本当に神の子なら、今すぐ奇跡を起こして我々を十字架から降ろしてみろ」と言います。すると右の強盗は、「おまえ、そんな事を言うもんじゃない。我々は罪を犯したから十字架にかかるのは仕方ない。しかし、この方は何の罪も犯していないじゃないか!ととりなし、主よあなたが神の元へ行かれる時は私のような者が居た事を覚えておいてください。」と言いました。するとイエスは「あなたは今日、私と共に楽園にいるだろう」と言います。
最愛の3弟子にも裏切られ最後にイエスを信じたのは右の強盗だけでした。

亡くなる寸前にイエスは十字架上で「神よ、彼らを許したまえ。彼らは何をしているのかわからないのです。」と、自分を死に追いやる人々に対して、神に「とりなしの祈り」を捧げます。「恩讐を愛する」というこの祈りで、イエスの魂にはサタンが手を出せなくなったのです。そして亡くなって行きました。その瞬間、天に暗雲が立ち込め稲妻が光り、神の悲しみが現われます。人々はその光景を見てハッと我に返り、初めて「真にこの方は神の子だった!」と気づきますがもう後の祭りです。

聖書は重要な預言書と言われています。この裁判で群衆が責任をとると言ったとおり、それから約2000年後、ドイツのヒットラーによってユダヤ人600万人の虐殺が行われました。
また、十字架の時の左の強盗は神とイエスを否定しました。これは将来「共産主義思想」が出てくることを示唆し、右の強盗は神とイエスを擁護しましたので、将来の「民主主義」を意味します。
イエスの代わりに解放されたバラバの子孫が「イスラーム」です。
何度も書きますが、イエスの出現の前後で、紀元前後が分かれます。そのくらいイエスは特別な存在であり、歴史は神とサタンとの闘いの歴史であるという事です。

イエスの死後、40日目にペンテコステ(聖霊降臨)が起こり、イエスが霊人体となって12弟子を集め、本格的にローマへのキリスト教伝道が開始されます。
イエスを裏切ったペテロは同じように捉えられますが、先生と同じ十字架では申し訳ないとして、逆さ十字架にかかって処刑されます。それから400年間、キリスト教徒は迫害に次ぐ迫害のなかで沢山の殉教の血を流しながら、最後にはローマ帝国の国教として認められるようになります。

この続きはまた・・・。


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ゴルゴダの丘 最後のイエス  (ネットから)




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2019年01月12日

歴史に見る神の人類救済計画 〜イエス・キリストの生涯B〜西洋神学史観

1年が過ぎるのがあっという間で、もう新しい年を迎えました。皆様、新年の抱負を抱かれて出発されたことと思います。平和で健康な1年でありますようお祈りします。

さて、本題です。イエス・キリストの生涯そのBです。前回までは神の子であるイエスをユダヤ全土に紹介して、自らがイエスの第一弟子となって活躍せねばならなかった洗礼ヨハネが、残念ながら裏切ってしまい最後は牢獄死を遂げます。イエスの落胆は想像もつかないものになったというところまででした。では例によって友人から語っていただきます。

友人:結局、人々の心の準備を整えたところに神の子(イエス)を迎えて地上に天国をつくるのが神の救済計画でしたが、一番要の人物(=洗礼ヨハネ)がサタンに奪われました。その為、イエスは自らが「洗礼ヨハネ=証し人」になって1から出発しなおします。
最初は、ユダヤ教の神学者・法学者を相手に話をしていましたが、ヨハネの否定により当時の偉い人々は完全にイエスを否定し排除しようとします。
仕方なく、イエスは当時の下層階級の無学な人々、漁師や取税人、娼婦といった社会的地位の低い人々の所を歩き回ります。その様な人々に難しい神学を語ってもわかりません。だから、神の権威を見せるため奇跡を起こします。死人が生き返り、盲目の人の目が見える、足が立たない人が立つようになる…など。
そのうわさがユダヤ全土に広まります。しかし、イエスを否定する神学者たちは、自分たちの地位が危うくなりますから、「あいつは悪魔の頭だ!」といって否定し続けます。

いつまでも奇跡ばかり起こしてもいられません。なんとか国家に影響を及ぼさねば、天国はできません。焦る思いでイエスは最後の神への談判祈祷を行います。この時、弟子の中で3弟子(ペテロ・ヤコブ・ヨハネ)を選び、一緒に山に登り「寝ないで祈っておきなさい。私はあちらで祈るから」と言って、必死に神にすがって祈ります。
しばらくして弟子の所に行ってみると、彼らは全員眠っています。もう一度彼らを起こして、再度祈りますが、また帰ってみると、弟子は寝ています。仕方なくイエスは一人で最後の祈りを捧げ、十字架にかかる決意をします。弟子は何のことかわかりません。
結局、イエスを支える3人がとても重要な位置にいました。例として、テーブル板を支えるのに脚が1〜2本では不安定、最低3本でやっと安定します。3人の弟子がイエスと心を一つに祈っていれば、イエスは死ななくてよかったのです。

やがて、イエスを信じる人々の集団の会計をやっていた「ユダ」という人物が役人にイエスを銀貨40枚で売り渡します。イエスは捉えられて牢獄へ。
奇跡を起こせるのですから、役人など払いのける事は造作もないはず。しかし、イエスはもう「死ぬ決意」を固めました。そして、十字架の道へと進んでいきます。

従来の神学では、「イエスは本来死ぬために地上に誕生した。だから、私たちの罪を背負ってくれて亡くなられたから、私たちはイエスを信じれば救われる・・・」という考えでした。しかし、聖書を総合的に解釈する現代神学ではイエスは死ぬために来たのではなく、洗礼ヨハネの妹と結婚して、「神の家庭=無原罪の家庭」をつくり、その子孫も当然サタンと関係ない無原罪の血統をひく・・・そういう氏族、民族をつくらねばならなかったのです。
しかし、必死に神の声を伝えようと、30歳からわずか3年間、一生懸命伝道したのに、最後の3弟子さえもイエスの深い心中がわからずじまい。
結果、自分の肉体はサタンにやるが、魂(=霊人体)は神の元へつなげるという「半分救済の道」を選びます。ですから、以後イエスを信じれば肉体の救済はできなくても魂は救われるという、「半分救済の道(魂だけの救い)」が開かれたのですが、これはイエスの本意では決してないという事です。(魂も肉体も両方救わねばならないのがイエスの本意)
したがって最後にイエスは、黙示録にありますが、「私はまた来る」という再臨預言の言葉を残しています。

従来神学のように、「イエスは死ぬために来た」のだったら、オギャーと生まれてすぐに亡くなったら良いではないでしょうか?一日も早く人類を救うのだったら・・。
結局、アブラハム〜ヤコブ時代から、4000年間かけて準備してやっとの思いで地上に無原罪で誕生させた唯一の神の子を、人類は不信して十字架に追いやるという愚行を犯してしまったと解釈する方が、イエスの言動・行動を総合的に見て、また当時の社会情勢からも、妥当と言えます。「十字架は神の意志ではなかった!」のです。
この続きはまた・・・。

きれいな音楽と映画のワンシーンでちょうどこの場面が出てきます。
https://www.youtube.com/watch?v=sza4rh1YzsM


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イエス最後の祈り と 3弟子の眠り   (ネットから)


posted by 城北通り動物病院松江 at 09:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする