2017年05月18日

人類にイエスは何故必要か? そのA  〜出雲神学からの考察〜

一年の内で最もすがすがしい季節になりました。沖縄は梅雨入りしたそうですが、ロンドンのように年中湿っぽく曇り空の多い出雲地方も、この時期だけは快晴が続きます。
新緑と青空、マイナスイオンたっぷりの空気。都会では味わえない自然の恵みですね。
人生、意外と短いですから、どうせ生きるなら皆さま、自然の中で、地方で生きましょう!!

今回も前回の続きです。神の独り子、イエス・キリストの生涯です。いつもの友人の弁からです。
友人:一番ポピュラーな口語訳の聖書(日本聖書協会出版)には、大きく分けて旧約聖書と新約聖書があります。旧約聖書はアダム・イブから、イエスの誕生前まで。新約聖書は、イエスの誕生以降が書かれています。皆さまも耳にされた事があるかと思いますが、旧約聖書のモーゼの時代は戒律と律法の教えでした。「目には目を、歯には歯を・・・」という教えで、もし罪を犯したら同じ価値で贖罪せよという教えでした。しかし、イエスの時代には、「右の頬を打たれたら、左の頬を出しなさい」という、‘愛と許し’の教えです。

人々の知能と心情が時代と共に発達してきたため、教えの内容が高次元になって来たのです。さて、イエスは馬小屋で誕生します。何故か?
母マリヤは天使のお告げで、「処女懐胎」という奇跡が起きて、夫がいないのに身ごもったというのです。従来神学ではこれがイエスを神の子とあがめる一つの理由になって来たのです。しかし、当時の人々はそんな事わかりません。風習では不倫で身ごもったものは石で打ち殺せという教えの社会です。マリヤは、自分の懐胎を隠して生活しましたから、当然、人々の祝福を受けてのお産などできません。ですから、馬小屋でひっそりと産んだのです。

私:医学的に処女懐胎は考えにくいですし、非現実的ですよね。現代神学がある程度科学的に解説するなら、この問題も解けるのではないですか?
友人:ハイ。男女の交わりがなくては、身ごもりません。だから、聖書をよく読むとイエスの父が誰か?はハッキリ書かれています。
それはともかく、出生の問題はその後のイエスの生涯路程に大きな影響を及ぼします。

当時の人々は、夫がわからない子供のイエスを当然の如く私生児扱いします。しかも馬小屋で出産。30歳まで、お父さんの大工仕事を手伝っていた学識もないみすぼらしい青年です。
ところが、30歳になったら、突然家を出て、神の教えを語りながら各地を転々とします。最初は、それまでの旧約聖書を信奉する当時の神学者や、律法学者(法律担当)などを相手に弁論会を開き、ことごとく論破して行きます。当時の学者たちも一目置く存在になります。
しかしイエスの弁は、冒頭に述べました様に、従来の旧約聖書の教え(戒律の教え)と違って、より高い次元の話(愛と許しの教え)になります。当時の学者たちは、自分達が主張してきた律法神学と違うので、ことごとく反発してしまいます。

私:今の世の中もそうですね。古い観念にとらわれて新しい事を受け容れられない。もし、自分の信念を覆せば、明日からオマンマの食い上げになりますからね〜。

友人:そうです。イエスは本当は、新しい時代が来たから学者たちが率先して新しい教えを受け容れて、多くの人々を導いて欲しいと願ったのです。しかし、やがてイエスの嘆きの一文が聖書に出てきます。

「(ルカ伝13章34〜35 日本聖書協会編 口語訳聖書)ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」と。
また、「(マタイ伝.8章20節 同聖書 )イエスはその人に言われた、きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」と。

寂しい心を抱いて、家族にも理解されずエルサレムの市街地を離れて、漁村を歩きながら無学な漁師や取税人(当時世間から嫌われていた)、娼婦などを相手に、神の言を伝えなければならなくなったイエスの心中は、測り知れないものがあります。

私:現代では神の子として有名なイエスですが、当時の社会には受け入れられなかったのですね〜。いつの時代でも、価値観の違う新しい事が出ると、本音では正しいと思っていてもついていけない。変わろうとする勇気が無いのですね。・・・この続きは次回に。


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島根半島から日本海を望む


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美保関から大山を望む

posted by 城北通り動物病院松江 at 19:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

人類にイエスは何故必要か?その1  〜出雲神学からの考察J〜

4月になり狂犬病予防や、フィラリア・ノミ・ダニ予防の季節に入りました。忙しくなりブログが遅くなりました。今年の島根は春冷えの日々です。サクラは咲いて散りましたが、朝夕の寒さが今も残っています。

さて、今回は世界中の人達がほとんど名前を知っているという「イエス・キリスト」についてです。因みにキリストというのは、救い主という意味で役職名だそうです。
西洋の偉人で、東洋では関係ない様に思いますが、実は全世界のどんな人にも絶対必要な人物として、イエスは約2100年前に地上に現れたそうです。
紀元前・紀元後の基点はイエスの誕生に由来する事は皆さまも御存じでしょう。
では、いつもの友人の言からです。

友人:人類始祖が堕落したため、親なる神はこのアダムとイブの子孫を何とか救う為に、長い歴史をかけて神の独り子を準備しました。それがイエスです。神が人を創造するのに数億年を要したように、堕落した人類を神の元に導くのにもかなりの‘期間’が必要です。これを償い期間と言います。
イエス1人を地上に誕生させるには、サタンとの条件のやり取りが必要です。例えば人類が100の悪行を犯していたなら、神が選んだ特定の人物が100の善行を立てる事で精算します。これが、「罪業の精算原則」です。

私:以前もお話が出てきましたが、先祖が穴をあけたら、子孫が穴埋めするという理論ですね。その穴埋めが病気だったり、結婚の失敗だったり…という話ですね。

友人:そうです。ゼロに戻さねば、新しい出発はできません。イエスは「原罪のない人(サタンと一切関係ない人)」として、地上に誕生しました。地上に原罪のない人間を誕生させる事は容易ではありません。第一サタンがゆるさないからです。ですから皆さんも聞かれた事があると思いますが、アブラハムという人や、ノアの方舟、モーゼの出エジプトなど神が選んだ人たちが、生涯かけて必死に善の条件を積んできたのです。その結果、聖書暦で人間始祖の堕落から4000年かけてやっと神の独り子=イエスが地上に誕生したのです。

私:気の遠くなるような話ですね。その歴史が分厚い聖書に綿々と綴られていたのですね。
神というと、何か奇跡を起こして一気に新しい事をする・・というイメージですが、「罪業の精算原則」から考えると、確かに人間の都合の良い考えで神をとらえてはいけないですね。
友人:そうです。私達の先祖も善い事をした人もいれば、好き勝手に生きて‘業’を増やした先祖もいるのですね。それを、イエスをただ信じるだけで救われるというなら、こんな簡単な事はありません。日本の江戸時代、百姓一揆が起こった時、阿弥陀を唱えると極楽に行くという教えが広まりました。信じる事は大きな条件になりますが、生きてるうちに善行を施す事をしなければ、好き勝手をして死ぬ時に「南無・・・・」を唱えれば救われると言うのは、どう考えても不公平ですね。サタンはそんなに甘くはないです。

私:なるほど。で、そのやっと地上に誕生されたイエスを当時の人々は十字架にかけたのですね。この続きは次回に。


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出雲一の宮 熊野大社の桜
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2017年03月11日

家庭の重要性   〜出雲神学からの考察I〜

皆様こんにちは。桃の花が膨らんで、春めいて参りました。お元気でしょうか?
今回は「家庭」というものがいかに重要か?ということを掘り下げます。

前回までの現代神学のポイントを整理してみましょう。
1. 神はわが子として人を創造されたということ。したがって神と人間の関係は愛を動機とした親子の関係であること。
2. しかし人類始祖は、成人になる前の自己責任が試される重要な「成長期間」に、神の戒めを破って姦淫の罪を犯してしまったということ。本来神が共に住もうと何億年もかけて創造されたエデンの楽園から追い出されて、神も干渉できない立場に人々は堕ちてしまったこと。
3. 神が人類始祖の堕落に干渉できなかったのは、神のすべての能力である創造性・自主性・主体性を人類に付与するために、神自身も干渉できない期間(成長期間)を設けて、その期間は人間自身の考えのみで行動するように決められた為であること。
4. 人類最初の女性であるエバを天使長ルシファーが奪ってしまい、その血統を汚したため、この世の人類はサタン(ルシファー)の子孫となって知らず知らずに破滅の道を歩んでいること。
5. しかし、神は親であるがゆえに決して救いをあきらめず、神の一人子であるイエス・キリストを使わされ、サタンと関係のない無原罪の家庭を作って新しい出発をされようとしたこと。
6. しかし、サタンはそのことを死にもの狂いで阻止するため、イエスを十字架につけて殺してしまったということ。
7. 神はなおもあきらめず、必死に人類を神の元に導くために、聖書を歴史に残し黙示録に再臨のキリストを地上に送ると予言されたこと。
以上が今までの話しをまとめた内容だったように思います。
では、神が望まれる家庭とはどのようなものなんでしょうか?例によって友人の弁です。

友人:家庭が如何に重要でしょうか?それは愛が動機となって出発したものだからです。
たとえば、ある人は「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は人同士が自分の権益を得るところです。そして宗教も神様を見出すありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。それで神様を見出すことはできますが、愛は見出せません。本当の愛は家庭で探さなければならないのです。

私:なるほど。そういわれればそうですね。
友人:いくら会社に出て行ってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭の無い人は不幸な人です。またいくら政治の分野に進出して大統領になったり国会議員になったりしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭が無くなるときには不幸な人です。有名な宗教指導者になり、その教団の信者から愛を受けると言っても、その愛だけではダメです。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。

いくら世界万民のために働いたとしても、自分の家庭を幸せにできなければ、不幸な人です。愛の理想は家庭から実現せねばなりません。家庭は幸福の巣です。天国は家庭から始まるのです。だから、家庭の出発である「正しい結婚」をしなければなりません。
何が正しいかは神とつながっている良心に聞けばわかります。良心の呵責を感じることは自分を不幸の谷間に追い込むことになります。

母親がわが子を抱いています。ある人が来て、かわいいお子さんですね〜。お母さんより千倍もかわいいと言います。それを聞いた母親は嬉しくなるでしょう。しかしよく考えると、この子より母である自分は千倍醜いということです。しかし、「なんですって、私が千倍醜いですって!」・・・・そんな事を叫ぶ母はいません。
これが無条件の愛の姿なのです。

私:子供を持った母はみなそうですね。よくわかります。だから家庭の愛が最も尊いのですね。
・・・この続きは次回に・・・。

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posted by 城北通り動物病院松江 at 19:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする